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【突撃!広島アスリートの食卓<第11回>】『イズミメイプルレッズ(ハンドボール)』三橋未来 ×『どんぐり北広島ソフトテニスクラブ』田辺恵理

広島県はプロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームが存在する『スポーツ王国』だ。本連載は、競技の垣根を越え「新たなスポーツの楽しみ方」を提供する広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』に参加する26チームの選手・関係者が登場し、選手を支える大切な要素である『食』を軸に、対談形式で彼らの魅力をお送りする。

連載第11回目は、ハンドボールチーム『イズミメイプルレッズ』から、三橋未来(みつはし・みき)選手、そして、女子ソフトテニスチーム『どんぐり北広島ソフトテニスクラブ』から、田辺恵理(たなべ・えり)選手が登場。

三橋選手が所属するイズミメイプルレッズは、地元広島で愛されるスーパーマーケット、イズミのハンドボール部として1993年に誕生。翌年から日本ハンドボールリーグに参入すると、創部3年目の1996年にはリーグ初優勝。2004年には国内タイトルを制覇し四冠に輝いた。1998から2004年にかけて日本リーグ7連覇するなど、強豪女子ハンドボールチームだ。2024年開幕予定のハンドボールプロリーグへの参入も内定している。

田辺選手が所属する『どんぐり北広島ソフトテニスクラブ』は、広島県北に位置する北広島町を本拠地とし、2015年に創設された女子ソフトテニスチーム。ソフトテニスのナショナルチーム選手や年代別代表を多数輩出しており、日本でもトップレベルを誇る女子チームだ。日本ソフトテニス界の第一人者である中本裕二監督のもと、全国から移住してきた選手たちが所属。地域住民から愛されるチームとして、北広島の町に根付いている。選手たちは地元企業で働きながら、日々のトレーニング、大会への出場の他、地域の子どもたちに向けたソフトテニスの指導も行っている。

今回は、ハンドボールとソフトテニスといった異なる競技の第一線で活躍するプロアスリートの2人が登場。お互いの競技への印象や、アスリートならではの『食』へのこだわりを語ってもらった。

“圧”に負け(?)ハンドボールを始めた三橋選手と、テニス一家に育った田辺選手。そんな二人の共通点は?

(イズミメイプルレッズ 三橋未来選手)

ー本日は、互いに1996年生まれのお二人による同世代対談となりました。よろしくお願いします。

三橋・田辺「よろしくお願いします」

ー三橋選手はハンドボール、田辺選手はソフトテニスで活躍されていますが、お二人はお互いの競技をご覧になったり、プレーされた経験はありますか?

三橋「中学校にソフトテニス部があって、そこで見かけたことがあるくらいですね……。以前、広島で活動されている男子チームのNTT西日本ソフトテニス部さんと一緒に練習をしたことがあるのですが、実際にプレーしたことはないんです」

田辺「私もハンドボールをプレーしたことはないですね。ただ、高校時代の友達が『ハンドボールをしたい』と言っていて、一緒に見学に行ったことはあります。ハンドボールはよくニュースになったりもしますよね。テレビで取り上げられているのを見ながら、本当に刺激的なスポーツだなと思っていました」

三橋「ありがとうございます!」

田辺「選手同士の接触プレーも多い競技だと思いますが、なにか特別に気をつけてトレーニングされていることはありますか?」

三橋「そうですね。まずは自分の体をどれだけ強くできるかというところは大切にしています。あとは他の競技とは違う、『投げる・走る・飛ぶ』という運動要素も入っているので、全体的なバランスも考えたトレーニングが多いですね。ソフトテニスでは、どういった点に気をつけてトレーニングをされているんですか?」

(どんぐり北広島ソフトテニスクラブ 田辺恵理選手)

田辺「ソフトテニスは、ダブルスであれば2人、シングルスであれば1人で、広いコートをカバーすることになります。大切になるのがボディバランスで、そこがしっかりしてないとやはり崩れたりしてしまうんです。ただ、その点に関してはどのスポーツでも同じだと思いますし、トップになればなるほど、みんなが気をつけているところではないかなと思いますね」

ーでは、お二人が競技を始めたきっかけからお伺いしていきます。三橋選手がハンドボールを始めたのは、おいくつからですか?

三橋「私は中学からハンドボールを始めました。小学校の頃に部活動を見学させてもらう機会があったのですが、たまたまその中学校が全国大会で3連覇したチームだったんです。それを見て、『かっこいいな!』と憧れたのがハンドボールに触れたきっかけでした。ただ、ハンドボールに限らず球技が好きだったので、中学に入学してからも、バスケットボール部にするかハンドボール部にするかかなり悩んでいたんです」

田辺「そうだったんですね! 最終的にハンドボールにしようと決断した決め手はあったんですか?」

三橋「しばらくどちらの部活に入るか悩んでいたら、ハンドボール経験者のクラスメートが顧問の先生に、『三橋さん、ハンドボール部に入りたいらしいです!』と言ってくれたんです。それでも最後の最後まで、バスケにするかハンドボールにするか悩んでいたんですけど……入部届けの締め切り日に、ハンドボール部の顧問の先生から『おい、まだ(入部届けを)出さないのか』と言われてしまって(笑)」

田辺「なるほど(笑)。断れないですね、それは」

三橋「はい、そうなんです。この時の顧問の先生の後押しというか……“圧”というか(笑)。そういうものに負けて、ハンドボール部への入部届けを出したのがきっかけでした。田辺選手がソフトテニスを始めたきっかけは何だったんですか?」

田辺「私の場合は、まず父親がテニスをしていて、いとこもテニスをしていたんです。生まれたときからテニスに囲まれていたので、自然と『自分もソフトテニスやるものなんだ』と思っていて」

三橋「すごい。テニス家族だったんですね」

田辺「そうなんです。小学校に上がったら自分もやるものなんだと思って育っていたので、周りから『ソフトテニスやるの?』と聞かれると、自然と『イエス』と答えるような感じでした」

ーこれまでの競技人生で、特に印象に残っている試合はありますか?

三橋「私は高校2年から3年に上がるときの春の全国大会ですね。その時私はチームのキャプテンだったのですが、大会直前に練習試合で大ケガをしてしまったんです。どうしても最後の大会には出たいという気持ちがあったので、すぐに手術を受けることにしました。大会では私の目標でもありチームの目標でもあった全国日本一になることができて、すごくうれしかったんですが……私自身は試合に出ることができなかったんです。やっぱり自分がそのコートに立てずに日本一になったという経験は、うれしくもあった反面、すごく悔しさもありましたね。 その時の悔しさがあるからこそ、今もハンドボールを続けているというところもあります」

田辺「私は試合でいろんな人とダブルスのペアを組むのですが、これまで、その選手にとってのラスト1年に組ませていただく機会が何度かあったんです。選手生活の最後の年に、ダブルスのパートナーとして私を選んでいただいたということでもあるので、すごく光栄なことなのですが、思ったような結果を出すことができないこともたくさんあって……。そのたびに悔しいし、申し訳ないという気持ちにもなりました。私も三橋選手と同じように、そういう悔しさをバネにして、今日までソフトテニスを続けることができたと思っています」

三橋「すごくわかります。私たちも、シーズンを通して戦った最後のプレーオフで結果が残せなかった年には、翌年『またこの1年、プレーオフ出場のために頑張ろう』と決意して新しいシーズンを迎えて……という、その繰り返しなんです。『悔しい』という気持ちを一つの原動力にして頑張れるというのは、私もすごく共感できます」