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取材記事
【突撃!広島アスリートの食卓<第9回>】『中国電力陸上競技部』藤川 拓也 ×『ダイソー女子駅伝部』平村 古都
広島県はプロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームが存在する『スポーツ王国』だ。本連載は、競技の垣根を越え「新たなスポーツの楽しみ方」を提供する広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』に参加する26チームの選手・関係者が登場し、選手を支える大切な要素である『食』を軸に、対談形式で彼らの魅力をお送りする。
連載第9回目は、『中国電力陸上競技部』から、藤川拓也(ふじかわ・たくや)選手が、そして、『ダイソー女子駅伝部』から、平村古都(ひらむら・こと)選手が登場。
両選手がプレーする陸上競技とは、リレーやハードル走などのトラック競技、走り幅跳びやハンマー投げなどを含むフィールド競技、マラソン・駅伝を含むロードレースなどの総称で、五輪競技にも採用されている。今回対談する藤川選手と平村選手が主に行っているのが、5000mや10000mを中心とした長距離トラック種目と駅伝。国内の大会では、男子の東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)や全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)、女子の全国都道府県対抗女子駅伝競走大会、全日本実業団対抗女子駅伝大会(クイーンズ駅伝)などが広く知られている。
藤川選手が所属する中国電力陸上競技部は、1989年に創部。2001〜2008年にかけては8年連続でニューイヤー駅伝の上位に食い込むなど、国内でもトップクラスの実力を誇る古豪チームだ。
一方、平村選手が所属するダイソー女子駅伝部は2019年に創部され、東広島を拠点に活動。創部3年目の2021年に初のクイーンズ駅伝に出場するなど、着実に力をつけてきている、今注目の女子駅伝チームだ。
今回は、同じ“陸上競技・駅伝”という共通点を持つ両選手を招き、広島で活躍するお互いのチームへの印象や、陸上アスリートならではの『食』へのこだわり、地元出身の2人ならではの気になる『広島グルメ』ついて語ってもらった。
陸上の強豪・世羅高校出身の両選手。2人が地元で競技を続ける、その理由とは
ーお2人は広島を拠点に活動される陸上選手であり、世羅高校陸上部のOB・OGという共通点がありますが、これまでお会いされたことはありましたか?
藤川「試合や合宿の時に、たまに一緒になることはありますね」
平村「そうですね。でも、こうしてお話することはあんまり……」
藤川「ほとんど初めてですよね」
平村「そうですね、初めてだと思います」
ー普段から、お互いのチームについて意識をしたりすることはあるのでしょうか?
藤川「ダイソー女子駅伝部さんの監督(岩本真弥監督)は、僕の世羅高校時代の陸上部の監督でもあるので今でも気になりますし、情報としても入ってきます。そういう関係もあって、すごくつながりが多いチーム同士だと思っています」
平村「男子と女子とが同じ大会で戦うことはないので、対戦相手として意識をすることはないのですが、世羅高校のOBの方だと、勝手に親近感を覚えることはありますね(笑)」
ー藤川選手としても、世羅高校の後輩選手は気になるものですか?
藤川「そうですね。平村選手は今、何歳なんだっけ?」
平村「22歳です」
藤川「8歳も違うんだ!僕は今年30歳になったので、さすがにギャップがありすぎますね(笑)。でも、世羅高校の陸上部ということで共通の話題があるとすれば……練習コースですかね。平村選手は、山のコース好きだった?」
平村「はい、好きでした」
藤川「(小声で)マジか……(苦笑)」
一同「(笑)」
藤川「すごくキツい、獣道のような山道のコースがあるんです。僕は苦手だったんですけど」
平村「山のコースより、川のコースの方が好きだったんですか?」
藤川「いや……、どっちも嫌いだったかも」
一同「(笑)」
ー世羅高校陸上部経験者ならではの話題も出てきたところで、お2人と陸上競技の出会いについてお伺いしていきます。競技を始めたきっかけは何でしたか?
平村「私は小学生の時からいろいろなスポーツをやっていました。中学校には希望の部活がなかったので、半ば消去法で陸上部を選んだんです(笑)。顧問の先生が勧めてくださったのをきっかけに長距離に挑戦してみたら『意外と走れるじゃん!』と気がついて(笑)。それが楽しくて本格的に走るようになりました」
藤川「僕も似たようなところがあるかもしれませんね。小学校の時にマラソン大会に出場してみたら割と良い成績を残すことができて、そこから少しずつ、いろいろな大会に出るようになりました。隣の市の中学校に良い指導者の方がいて、声もかけていただいていたので、そこで本格的に陸上競技を始めました」
ーでは、お2人が今の実業団チームに入社を決めたきっかけは何だったのでしょうか?
藤川「僕はかなり早い段階で、中国電力に入社したいと思っていました。中学2年生くらいの頃、中国電力はニューイヤー駅伝で優勝したりしていて、実業団チームの中でもすごく強かったんです。ちょうどその頃に中国電力の坂口泰監督とお話しする機会もあって、『将来はここでやりたいな』と思うようになりました」
平村「私は高校入学当時から、卒業していく先輩たちが実業団チームに進むのを見て、『自分も卒業したら実業団で走りたい』という思いがありました。そんな時に、ダイソーから『駅伝部を立ち上げるので、うちで走らないか』と声をかけてもらったんです。地元の会社で、しかも駅伝部の一期生としてとってもらえるというのはとてもありがたかったので、すぐにお願いしました」
ー小学生時代に陸上競技と出会い、今日まで続けてこられたお2人ですが、陸上の魅力とは何だと思いますか?
藤川「競技をしているとすごくしんどいことの方が圧倒的に多いですし、努力がそのまま報われることもそんなに多くはありません。ただ、努力に対して結果が出た時のよろこびや、自己ベストを出せた時の達成感は、陸上ならではの魅力の一つだと思います」
平村「私も同じようなところがありますね。私は中学生の頃から、地元のランナーが集まる練習会によく参加していました。そういうところで一緒に走ってくれた人たちが、今でも応援してくれているんです。『感動したよ』と言ってもらえるのもすごくうれしくて、きつい時でも走ることができています」
ー小学生時代に陸上競技と出会い、今日まで続けてこられたお2人ですが、陸上の魅力とは何だと思いますか?
藤川「競技をしているとすごくしんどいことの方が圧倒的に多いですし、努力がそのまま報われることもそんなに多くはありません。ただ、努力に対して結果が出た時のよろこびや、自己ベストを出せた時の達成感は、陸上ならではの魅力の一つだと思います」
平村「私も同じようなところがありますね。私は中学生の頃から、地元のランナーが集まる練習会によく参加していました。そういうところで一緒に走ってくれた人たちが、今でも応援してくれているんです。『感動したよ』と言ってもらえるのもすごくうれしくて、きつい時でも走ることができています」
平村「確かに。沿道から名前で呼ばれるというのは、大きな力になりますよね」
藤川「平村さんは、今でも忘れられない印象深い大会はありますか?」
平村「高校1年生の時に、4区を走った全国高校駅伝ですね。この大会は、前日まで『誰が走るのか』わからないくらいチーム内でも競っていた状況だったんです。そんな中で選んでもらえたのですが、私が出場するということは、『出場できなかった先輩もいた』ということなんですよね」
藤川「確かに。駅伝は区間が決まっているから、出場できる人数も限られますよね」
平村「はい。出場できなかった先輩は相当悔しい思いをしたはずなんですが、当日は私の付き添いをしてくれて、『頑張ってね!』と声もかけてくれました。そうして背中を押してもらったあの大会は、今でも思い出に残っていますね。藤川選手はどうですか?」
藤川「僕はやっぱり、2015年の箱根駅伝ですね」
ー青山学院大が史上初の総合優勝を成し遂げた大会ですね。当時、藤川選手は同部の主将も務めていました。
藤川「はい。やはり箱根駅伝には、特別な思い入れがありますね。テレビの視聴率もとても高いと聞いていますが、現地の沿道の応援もすごいんです」
平村「テレビで見ていても、すごい観客の数だなと思います」
藤川「人だかりが、二重、三重どころではないんですよね。僕は9区(戸塚〜鶴見)を走ったのですが、コースの途中に一箇所だけ沿道が途切れる部分があるんです。そこに差し掛かると、すごく耳鳴りがして」
平村「ええー!」
藤川「ずっと沿道の応援を聞きながら走るので、静かな場所にいくと耳鳴りがするんです。そういう瞬間も箱根でしか味わえない経験だったと思いますし、そんな中で走って優勝できたということは、今でも印象に残っていますね」