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コラム
スペシャルオリンピックス2022広島大会(11/4~6)
Power of Smile~だれもが輝ける場所へ。~【後編】
私と息子にとっての大きな転機に。
ここで、私がこの特定非営利法人スペシャルオリンピックス日本の理事長に就任するに至った経緯、私と息子の人生に、大きな転機があったことをお伝えいたします。
私は現在、日本航空で勤めた経験を活かし、キャビンアテンダントやグランドスタッフを輩出する航空専門校「インターナショナルエアアカデミー広島校」の校長を務めています。広島に越してきたのは夫の転勤がきっかけです。結婚してからは3人の子どもに恵まれ、末の息子はダウン症という障害を持ってこの世に生まれました。仕事をしながら、三男のために何か私ができる活動をと、某経営者団体の障害者雇用問題にも携わっていました。
「スペシャルオリンピックス日本・広島」の理事長に就いたのは、3年前の2019年です。ある日、事務局長の岡田幹子さんから、理事長就任のお話をいただく機会に恵まれました。実はそのときまで、私はスペシャルオリンピックスについての知識は全くなかったのです。しかし、人生における頼まれごとには即座に返事をするというのが私のモットーです。できない理由ではなく、できるための理由を探し、「やります」とお返事をいたしました。
スペシャルオリンピックスとの出会いは、私と息子の人生を大きく変えるできごととなりました。障害を持つ子は、健常児と違い、将来が不明瞭に思います。親ももちろん、未来がなかなか見えず、心配です。高校生までは、特別支援学校や学校の特別支援学級という選択肢がありますが、それ以降の道をどう進めばいいのか全くわからず、家族は不安で孤独な状況に陥りがちです。しかし、スペシャルオリンピックスの活動では、障害者の子を持つ先輩ママやパパたちがたくさんいます。そのため、将来に関するあらゆる情報を教えてもらえるのです。私は、三男が10歳の時にこの活動に出会いました。障害者の子を持つ家族から、たくさんの情報を教えていただき、学ばせてもらったのです。
また、息子は小学校の支援学級に通っていた時は、障害のあるなしかかわらず、たくさんの同年代のお友達と接することができましたが、中学校から特別支援学校に通うようになると、急に世界が狭くなったように、健常児の児童生徒さんと接する機会がないことに改めて気付かされました。
そのような中、スペシャルオリンピックスでの活動を通して、スポーツを通じて、ボランティアやスタッフなど、同年代の健常の人たちと接することができる、同年代の人たちへ知的障害への理解の場となる、交流の場に出会えました。
このようにして、私と息子は、共に悩みを分かち合える仲間や様々な方に出会える交流の場として、スペシャルオリンピックスの活動を始めたのです。
その中で一つ、私にとって、大きな出来事がありました。もともと、責任感の強い私です。三男が生まれてからは「この子は私1人で育てあげなくてはならない」と必死で頑張ってきました。
しかしある日、その考えを、先輩のママに叱られたのです。「上の二人のお子さんは自立させて、障害のある子は手元に置いておくのか。障害者だって働きたいし遊びたいし、自立したい。親のもとにいるだけで障害者は幸せだと、なぜ親が決めるのか。母親も仕事をしていい。海外旅行にだって行っていい。好きなことをしていい。」
目から鱗でした。私は、障害のある三男を自分の手の届く範囲に置き世話をすることが親の役目だと思っていたのです。皆さんには、障害を持つ子も、母親も、自立すべきだと教えていただきました。
障害者もその家族も、周囲に悩み事を相談できず、孤立してしまうケースは今なお続いています。広島でスペシャルオリンピックスを最初に立ち上げたメンバーの方たちは、「私たちは社会から隔絶され、ここしか頼れる場所がなかった。ここがあったから生きてこられた」とおっしゃっていました。また、スペシャルオリンピックスは、アスリートたちがやってみたい!という声があがると、そのスポーツ種目ができるように機会を提供します。今年はTボールをやってみよう!という話があって、早速やってみたんですよ。スペシャルオリンピックスは「やりたい!」をそのまま「叶える」場でもあります。私は、もっと生きやすい社会、明るく希望のある社会をつくり、想いを継いで次の世代にバトンを渡していきたいのです。
広く PRしなければ、思いを届けたい人に情報がいきません。特別支援学校や学校の特別支援学級にいたとしてもスペシャルオリンピックスの活動を知らないという方も、まだたくさんいらっしゃいます。それでも、以前の私のように、一人で抱え込んでしまう人がいてはいけない、孤立せずにみんなで声を掛け合える場所、社会にしていきたい、広島へ大会を誘致したバックグラウンドには、障害者を持つ親たちの切実な願いがあります。
そのような思いから、前回にも申しましたように、私は仲間たちとともに広島への大会招致を決意しました。今では、多くの方々の協力を得て、大会PR活動を行っています。それでも、まだまだ、届け足りないところがある、私達は強い想い、切実な願いから、県内全域にPR活動を行っていきます。