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スペシャルオリンピックス2022広島(11/4~6)
Power of Smile~だれもが輝ける場所へ。~【前編】

スペシャルオリンピックスの創設者は故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバー氏

ここでは改めて、スペシャルオリンピックスの発祥についてお伝えします。
 1962年、故ケネディ大統領の妹、ユニス・ケネディ・シュライバー氏が自宅の庭を開放し開いたデイキャンプがスペシャルオリンピックスの始まりです。

(写真)創始者 ユニス・ケネディ・シュライバー

彼女の姉に知的障害があったこともあり、障害のある人にもスポーツを楽しんでもらいたいという願いが創設の背景にありました。その後、1968年にケネディ財団の支援により、「スペシャルオリンピックス」が国際本部としてアメリカ・ワシントンD.Cに誕生したのです。現在では、世界200カ国で約570万人のアスリートと110万人以上のボランティアが活動に参加しています。

(2021年スペシャルオリンピックス日本・広島大会 柔道の様子)

日本では、1994年に「スペシャルオリンピックス日本(以下、「SON」という。)」が、スペシャルオリンピックス国際本部より国内本部組織として認証を受け発足し、現在は全国47都道府県に地区組織があります。このSON設立当初は、設立に尽力された細川佳代子氏(細川護熙(ほそかわもりひろ)元総理の奥さま)が初代会長に就任、2006年に三井嬉子氏が理事長に、そして、2008年から現在に至るまで、有森裕子氏(バルセロナオリンピック、女子マラソン銀メダリスト)が理事長に就任しています。

広島県は、1998年に「スペシャルオリンピックス日本・広島(以下、「SON広島」という。)」が発足しました。広島での活動は、来年で25年目という節目を迎えます。今回、スペシャルオリンピックス2022広島は、アスリート52名、コーチ26名が出場予定の大選手団で、大会に向けて、みんなで練習をがんばっています。

広島大会を招致された決意とは?

2020年(令和2年)はじめ、SON広島の理事長として、スペシャルオリンピックス日本(SON)の2022年夏季ナショナルゲームの招致公募に対し、招致活動をすることを仲間とともに、決意しました。
 その理由は、知的障害のある人についての理解を図り、知的障害者のスポーツを支援するボランティア人口が増えてほしい、そして、ひいては、多様性を尊重する社会の実現を、広島で一層強めたいと思ったからです。

(湯﨑県知事を表敬訪問)

スペシャルオリンピックスの目指すところは、創設者である故ユニス・ケネディ・シュライバーの設立当初から、スポーツを通じて、知的障害のある人々がその能力や尊厳を示し、彼らが一人の人として、幸福な生活が送れることであり、そして、障害の有無に関わらず、多様性を尊重する社会を目指すというメッセージをアスリートと共に発信し続けています。

私も、障害を持つ息子の母親として、息子がのびのびと明るく育ってほしい、大人になっても、笑顔をあふれる、人生を楽しめるように生きてほしいと願っています。実際に息子は、たくさんの方の愛情を受けながら、のびのびと明るく育っています。
 

1年延期の上で開催された東京オリンピック、そしてパラリンピック。わたしたちは、あらゆる環境を乗り越え、身体的な障害をも乗り越えて躍動するすべての選手たちに大きな感動と生きる力を与えてもらいました。それは、スポーツのもつ偉大な力を感じた時間でもありました。

(松井市長を表敬訪問)

私は、そのスポーツの力を信じて知的障害のある人たちのために、同じ目標に向かって日々努力する場を提供するスペシャルオリンピックスの活動を素敵なものだと心から思っています。そして、私たちの活動が、人と人とのつながりと感動の共有を通じて、すべての人が互いの違いを超えて互いの長所を認め合い幸せを共有できる優しい社会、だれ一人取り残されない共生社会の実現につながることを心から願っています。

スポーツは、障害があってもなくても、仲間と共に喜びあえ楽しめるもの、仲間との交流や居場所となっていく、スポーツの場や機会が、広島でも増えていってほしいと思っています。もし、以前の私のように一人で抱え込む方がおられたら、ぜひ一緒にやりましょう、と声を掛け合う場が増えていってほしい、そういう想いから、広島大会への招致を決意したのです。

SONの2022大会招致の公募に対し、SON広島の役員とともに、web会議でプレゼンをし、無事に選考委員会による選考で広島での2022大会開催が決定しました。
2020年9月、広島大会決定を発表することとなり、湯﨑県知事、松井広島市長にあいさつに行き、知事、市長に温かく応援されるなか、開催場所の下見など活動が少しずつはじまっていきました。