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【突撃!広島アスリートの食卓<第4回>】『広島東洋カープ』OB・石原 慶幸(野球)×『はつかいちサンブレイズ』岩谷 美里(女子野球)

広島県はプロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームが存在する『スポーツ王国』だ。本連載は、競技の垣根を越え「新たなスポーツの楽しみ方」を提供する広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』に参加する26チームの選手・関係者が登場し、選手を支える大事な要素である『食』を軸に、対談形式で彼らの魅力をお送りする。

 連載第4回目は、プロ野球『広島東洋カープ』から、OB・石原慶(いしはらよし)(ゆき)さん、そして廿日市市を本拠地とする女子野球チーム『はつかいちサンブレイズ』から、岩谷(いわや)美里(みり)選手が登場。

石原さんが2020年までプレーした『広島東洋カープ』は、今年で創設71年目を迎える。2016年には25年ぶりの優勝を果たし、2018年までリーグ3連覇を成し遂げた。平和大通りで行われた優勝パレードでは沿道に多くのファンが詰め掛け、広島全体が盛り上がるなど、まさに広島を象徴する『市民球団』として愛されている。

岩谷選手が所属する『はつかいちサンブレイズ』は、その名の通り廿日市市を本拠地とする女子硬式野球社会人チーム。創部1年目のチームで、中四国女子硬式野球リーグ『ルビー・リーグ』に加盟している。元・カープの石橋文雄氏が総監督を務め、元・女子プロ野球選手らを含む16名が所属。「地元との関わりを大切にする」というチーム方針を掲げ、日々練習、試合に励んでいる。

女子野球は、塁間の距離やマウンドからの距離は男子のプロ野球と変わらないものの、バットは金属製を使用し、全試合でDH制を採用。イニングは7イニング制など一部の規定も異なっている。全国選手権大会は1997年にスタートし、2021年夏には、史上初めて甲子園球場で決勝戦が行われた(優勝は神戸弘陵学園高等学校)。

 今回は、同じ“野球”というスポーツに携わる両選手を招き、野球選手ならではの共通点や『食』へのこだわり、体づくりへの意識を語ってもらった。

似ているようで異なる『男子プロ野球と女子野球』。2人の共通点とは?

(はつかいちサンブレイズ  岩谷美里選手兼監督)

――お2人が、競技を始めたきっかけを教えてください。

石原「僕は兄の影響ですね。3兄弟の真ん中の兄が野球をしていて、よくその練習について行っていたのですが、そのうち自然と僕も野球をするようになっていました」

岩谷「私は五人きょうだいの2番目なのですが、小さい頃に父や弟とキャッチボールをしたのが楽しくて、それが野球を始めようと思ったきっかけでした。実は、最初は別の競技がやりたかったんです」

石原「そうなんですか。ちなみに、何を?」

岩谷「サッカーです。いろいろなスポーツに興味があって、友達に誘われてバスケットをしたこともありました。ただ、家族からは『スポーツを見に行ってはダメ』と言われていて……そんな中で、なぜか野球だけはOKだったんです(笑)」

石原「それは親御さんの作戦勝ちですね(笑)」

岩谷「きっとそうですね(笑)。 そこから少年団に入団して、男の子に混ざって野球をするようになりました」

石原「僕が子どもの頃に参加していた野球チームにも、同級生にすごく上手い女の子がいましたね。小学生くらいまでは女の子の方が成長も早いですから、身長も男子より高くて運動神経も良かったので、レギュラーで出場していました。岩谷さんは、どのポジションを任されていたのですか?」

岩谷「最初は投手として入団しました。投手とショートを兼任しながら、キャプテンもやっていました」

石原「それはすごい!主力中の主力だったんですね。その頃に憧れていた選手はいましたか?」

岩谷「チームとして応援していたのは巨人だったのですが、初めて買ってもらったのは、当時西武ライオンズだった松坂大輔選手モデルのグローブでした」

石原「ご出身は北海道ということですが、日本ハムファンではなかったんですか?」

岩谷「その頃はまだ北海道に日本ハムがなかったので、北海道のテレビでは巨人戦ばかり放送されていたんです。中継をよく見ていたので、巨人の上原浩治さんに憧れるようになりましたね」

――同じ野球という競技でも、石原さんの所属されていたNPBと、岩谷選手の所属されている女子野球では異なる点もたくさんあると思います。お互いにどのような印象を持たれていますか?

岩谷「NPBは、野球でお金も稼げて、夢のありすぎる世界だと思っていました。小学生の頃は、本気で『NPBに入りたい』と考えていました」

石原「僕はこれまで女子野球の選手とお話する機会があまりなかったので、まだまだ詳しくないというのが正直なところです。萩本欽一さんが立ち上げた『茨城ゴールデンゴールズ』で片岡安祐美さんが注目されたり、吉田えり選手(エイジェック女子硬式野球部)が『ナックル姫』と呼ばれるようになってから、女子野球にも注目するようになりましたね」

岩谷「ありがとうございます。そういう方はきっと多いと思います。私はずっと野球を続けたかったのですが、当時は地元にチームも少なかったので、高校生の頃はソフトボールをやっていました。硬式野球の社会人チームもあったのですが、場所が遠くて練習に通うのに時間がかかってしまうので入団を迷っていたんです。そこで、兄が通っていた高校のソフトボール部に体験に行ったら、その場ですごく勧誘されて……そのまま入部することになりました(笑)」

(元・広島東洋カープ 石原慶幸氏)

石原「硬式野球からソフトボールに転向して、違和感はありませんでしたか?」

岩谷「最初のうちは、ボールの大きさも違いますし、手こずりましたね」

石原「僕も高校で軟式野球から硬式野球に転向したので、その違和感はなんとなくわかります。軟式のボールは硬式球に比べてすごく跳ねるので、なかなかタイミングを合わせづらいんですよね」

岩谷「そういう意味では、ソフトボールの方が硬式野球のバウンドに近いのではないかと思います」

石原「高校でのポジションはどこだったんですか?」

岩谷「ショートです。人数も非常に少ないチームだったので、試合では毎回助っ人を呼んできたり、マネージャーで入部した子が選手として出場したりと大変でした。試合中に一塁に送球する時も、初心者の子が守っていると優しい球を投げないといけなくて……」

石原「捕球しやすいように、わざとワンバウンドさせたりね」

岩谷「そうです(苦笑) 高校時代はそうした大変さもありました」

石原「僕が高校生の頃は今とは時代も違いましたから、いろいろと厳しい体験をした思い出がありますね……(苦笑) ただ、終わってみれば笑い話です。今でも同級生と集まる機会はありますが、いつも同じことばかり話して盛り上がっていますね。ただ、甲子園を全員で目指した時間は、かけがえのない時間でした。岩谷選手も、甲子園への憧れはありましたか?」

岩谷「そうですね……、漠然とですが、『甲子園は無理だろうな』という思いは持っていました。それよりも『NPBに入りたい!』という思いの方が強かったです。ただ、テレビで放送されている高校野球の試合はよく見ていました。高校でも、ソフトボールをやっているグラウンドのすぐ隣で男子の野球部員が練習していたので、『野球はやっぱりいいなあ』と思いながら眺めていました」

石原「高校卒業後に女子プロ野球の世界に進まれたということですが、迷いはありませんでしたか?」

岩谷「迷いはありませんでした。日本女子プロ野球機構の第1回合同トライアウトに参加したのですが、その時は『やってみよう!』という前向きな気持ちだけでした」