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【突撃!広島アスリートの食卓<第4回>】『広島東洋カープ』OB・石原 慶幸(野球)×『はつかいちサンブレイズ』岩谷 美里(女子野球)
2人の記憶に残り続ける、“ファンのパワー”を感じた忘れられない光景
――プロとして野球をしてきた中で、今も忘れられないシーンはありますか?
石原「僕はやはり、2016年の優勝ですね。3連覇したどのシーズンも忘れられない思い出ですが、入団してからずっとBクラスを経験していたので、その分、2016年の優勝は格別なものがありました。失敗した思い出もたくさんある中で、優勝や初ヒットといううれしい思い出は忘れられないものですよね」
岩谷「私は、初めて観客がいる中で試合をできた日のことが今でも忘れられません。初めて目にした『観客が入った球場』の光景や、体が震えるようなあの感覚は、今でも覚えています。カープさんのように、観客が何万人も入っていたわけではありませんでしたが、『自分たちの試合を見に来ている』観客の前でプロとしてプレーをするのは初めてだったので、その光景はすごく印象に残っています」
石原「僕がカープに入団した頃は、旧広島市民球場の時代でしたから、今のようにファンが球場にたくさん詰め掛けるようなチーム状況ではありませんでした。ガラガラの球場を経験して、マツダスタジアムが完成して、そこにたくさんの観客が入ってくれるようになって……という移り変わりの中でプレーできたのは、貴重な経験だったと思います。その中でも、優勝争いをしている時にファンの方たちがビジターにまで駆けつけて、球場を真っ赤に染めてくれた景色は今でも覚えていますね。神宮球場や甲子園球場のスタンドの半分が赤くなっているのを見て驚きましたし、鳥肌が立ちました。観客から感じるパワーというのは、どのスポーツも同じなのだと思います」
岩谷「マツダスタジアムに観戦に行ったことがあるのですが、ほとんどの方がカープのユニホームを着ているのを見て、『なんだ、この愛は』と驚きました。街を歩いているとカープのステッカーを貼った車もよく見かけますし、子どもたちもカープのキャップをかぶっていますよね。他の地域ではなかなか見られない光景だと思います。広島全体が、まるでファミリーのような雰囲気でカープを応援していて、本当にすごいなと思いました」
――岩谷選手は監督と選手を兼任されているそうですが、苦労されていることはありますか?
岩谷「そうですね。頭を使うことが多いので、その点が大変です。監督は腕を組んでどっしりと構えているイメージだったのですが、そんなことはないんですよね。はつかいちサンブレイズで一緒にプレーしている選手たちも、私がベンチで考え事をしていると、ヒマだと思って声をかけてくるんです」
石原「いろいろ考えてるのに(笑)」
岩谷「はい(笑) ただ、返事をしないわけにもいかないので、選手のことも気にかけながら、いろいろ頭も使っています」
石原「兼任監督は想像がつかないですね。試合の流れも考えながら、自分のプレーもしないといけないわけですし……『代打、俺!』という勇気もないですね(笑)。監督の難しさや厳しさは、やったことのある人にしかわからないと思います」
食べ物の『験担ぎ』はあるある!? 自分に合った食事法で理想の体づくりを
――日々の食事で気をつけていることはありますか?
岩谷「特に何かに気をつけるというよりは、我慢をしないようにしています。いろいろと試行錯誤した時期もありましたが、しっかり食べて、しっかり動いた方が自分には合っていると気がついてからは、食事量にはあまりシビアになりすぎないようにしています」
石原「現役時代はウエートトレーニングもしていましたから、プロテインなどは摂るようにしていました。ただ、基本的には好きなものを好きなだけ食べるという食生活をしていましたね。そういう意味では、あまり食のバランスは良くなかったのではないかと思います。結婚してからは、僕があまりにも無頓着なので、見かねた妻が気をつけてくれるようになりました」
――「試合前に必ず食べる」と決めている、勝負飯はありますか?
岩谷「私は特に勝負飯は決めていません。勝負事の前にカツを食べるという験担ぎもありますが、『あぶらっこいしな』と思ってしまって……。球場でたこ焼きを見かけても、『タコったら(無安打に終わったら)どうしようかな……』と思ったり」
石原「その気持ちはわかりますね(笑)。僕も現役時代はこれといって勝負飯を決めてはいませんでした。野手はとにかく毎日試合がありますから、『絶対にこれを食べる』と決めてしまったら、そのメニューがなかった場合に不安になる可能性もありますから、なるべく決めないようにしていました。ただ、先発の投手たちの中には、勝負飯を決めている選手もいるようですね」
――では、好きな食べ物は?
岩谷「私は年中アイスを食べていますね。子どもの頃はきょうだいも多かったですし、『アイスは一人一つまで』や『みんなで少しずつ分けて』というルールがありましたが、今は好きなだけ食べられるので幸せです(笑)」
石原「僕は好きな食べものを挙げるとなると、やはりお肉ですね。これは若い頃から変わりません。ただ、好きなお肉の種類はだんだん変化してきました。若い頃はトンカツも好きでしたし、柔らかいお肉もよく食べていましたね」
――食に気をつけるようになったのは、いつからでしょうか?
岩谷「私はプロに入ってからです。以前は、体型は今と変わらないものの筋肉量が少なかったので、まずは体を絞ろうと思って食べるものや量に気をつけるようになりました。主食を食べずにおかずだけを食べたりしていましたね」
石原「それって、すごくストレスになりませんか? 僕は野球をするためだけに体を鍛えていたので、引退してトレーニングの量もぐっと減りました。僕はたくさん食べるのは苦痛ではありませんでしたし、よく食事に連れて行ってもらっていた新井貴浩さん(元カープ)もたくさん食べる方だったので、当時のプロ野球選手の中でもよく食べていたタイプだと思います。そんな中で、これまで通りの食生活を続けていると、どうしても体が大きくなってしまうので、お酒を飲む時の最後の締めを食べないようにするなど、気をつけるようにしています。ただ、これってすごくストレスなんですよね……」
岩谷「そうですね、辛いなと感じることもあります(笑)」
――野球選手として、お2人が理想としているのはどんな体ですか?
石原「しなやかで強い体ですね。強いだけではケガをしてしまいますし、しなやかなだけではパワーも出ません。見た目でいうと、大谷翔平選手(エンゼルス)が理想ですね。身長があっても身のこなしはしなやかですし、バッティングの技術もあります。まさに理想の体です」
岩谷「私はもともと守備がすごく好きなので、ボールを華麗にさばける選手に憧れます。坂本勇人選手(巨人)のような、すらっとした体型が理想でした。そこを目指していた時期もありましたが、投手としても打者としてもパワーが出なくなってしまったので、無理な減量は止めることにしました。そこからは、中田翔選手(巨人)や清原和博さん(元西武、巨人、オリックス)のような、がっしりとした長距離砲を目指すようになりました。今の体はコンディションも良いですし、一番理想に近いと思っています」
――お互いの競技において、これからどのような存在になっていきたいと考えていますか?
岩谷「私たちの理想は、いろいろな方にはつかいちサンブレイズを知ってもらうことです。カープさんのように、街を歩く人たちがサンブレイズのグッズを身につけてくれるようになればうれしいですし、サンブレイズをきっかけに、廿日市の街も活気づけば良いなと思っています」
石原「カープの良さは、なんといってもファンの方たちとの一体感ですね。ファンあってのカープだと思いますから、応援してくださるファンの方たちに感謝しながら活動していきたいと思います。浅井樹さん(元カープ)が広島県・中四国女子野球アンバサダーに就任されていますが、そうしたことを知っているだけでチームや競技への思い入れも変わってきますよね。いろいろなスポーツの情報を、広島のみなさんに紹介する機会が増えていけば良いなと感じています」
――最後に、野球を頑張っている子どもたちにアドバイスをお願いします。
石原「子どもの頃の好き嫌いは仕方ないですから、無理をして食べる必要もないと思います。用意してもらった食事を、美味しく、楽しく、そしてできるだけ『誰かと一緒に』『みんなと一緒に』食べてほしいと思いますね」
岩谷「たくさん食べて体を大きくすることは大切ですが、石原さんもおっしゃったように、無理をする必要もないと思っています。ただ、お菓子の食べ過ぎにだけは気をつけてもらいたいですね(笑) 時々食べるお菓子のありがたみも感じながら、食事を楽しんでほしいです」
石原慶幸
Yoshiyuki Ishihara
1979年9月7日、岐阜県出身。
県立岐阜商高-東北福祉大-カープ。
2001年にドラフト4巡目でカープに入団し、正捕手として活躍。黒田博樹、野村祐輔、クリス・ジョンソンらとバッテリーを組み、25年ぶりのカープ優勝に大きく貢献した。2010・2013・2016年には最優秀バッテリー賞を受賞。捕手としてベストナイン、ゴールデングラブ賞にも選出された。現在は野球解説者として活躍中。
◆チーム情報/広島東洋カープ
日本プロ野球セ・リーグに所属する球団で、戦後広島の復興のシンボルとして誕生。球団草創期には幾度となく存続の危機に直面するも、『樽募金』など市民の熱意によって危機を乗り越え、1975年に初のリーグ優勝を達成。1980年には連続日本一を達成するなど、1991年までにリーグ優勝6回、日本一3回に輝いた。2016年に25年ぶりのリーグ優勝を果たすと、2018年には球団初のリーグ三連覇を成し遂げた。
岩谷美里
Miri Iwaya
1991年6月7日生、北海道出身。
滝川西高(ソフトボール部)―兵庫スイングスマイリーズーノース・レイアー埼玉アストライアー京都フローラー埼玉アストライア。2021年から、はつかいちサンブレイズ。ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞1回。リーグ初の三冠に輝き、「三冠王を初めて獲得した女性プロ野球選手」としてギネス世界記録にも認定された。
◇チーム情報/はつかいちサンブレイズ
2021年、広島県初となる女子硬式野球社会人チームとして誕生。2022年4月に正式にチームとして発足し、現在は中四国女子硬式野球リーグ「ルビー・リーグ」に参入。初代総監督は⽯橋⽂雄(元・カープ)、初代監督は岩⾕美⾥(元埼⽟アストライア)。「地元との関わりを大切にする」というチーム方針を掲げ、野球だけでなく、地元の方々との交流なども行い、女子野球の普及振興を通じた地域の活性化に向けて活動中。
本取材にご協力いただきました関係者の皆様、本当にありがとうございました。