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スポーツ熱に溢れた広島に、サッカー文化を根付かせたい

元 サンフレッチェ広島 佐藤寿人

大好きな広島で家族と一緒に暮らしたい

僕は広島県出身ではないですが、僕の子どもたちは、広島で生まれ育ちました。今でも広島弁をしゃべっています。子どもたちも広島が好きですし、彼らには広島人としてのアイデンティティが根付いています。そして、そのことを、僕はとてもうれしく思っています。

(サンフレッチェ広島の試合解説をする佐藤氏)

じつは、3月に広島への引っ越しを予定しています。「引退した今、どこで子育てがしたいだろう」、そう考えた時、僕は「広島で子育てをしたい」と思いました。そう感じた理由に、広島で生きる『人』が好きだという思いがあります。良い時だけでなく苦しい時も、僕を支えてくれた人たちのいる街ですから、僕自身の思い入れもすごく強いです。広島には、地元を愛している穏やかな人が多いので、そういった環境のなかで、もう一度子どもたちを育てていけるのが今から楽しみです。

 余談ですが、僕は『宮島』が大好きです。宮島独特の非日常感や神聖な空気に包まれると、良いエネルギーをもらえる気がして、サンフレッチェ時代はよく訪れていました。今一番行きたいのはどこかと聞かれると宮島と即答します。今は、コロナ禍で思うように外出ができませんが、広島の街や宮島が、たくさんの人で賑わう日が戻ってくることを楽しみにしています。

一人ではできないスポーツ。それがサッカーの一番の魅力

僕は3歳の頃にサッカーボールにふれ、小学生でサッカーを始め、プロ選手になり、引退をした今でもサッカーに携わり続けています。そう考えると、もう30年以上、僕の人生はサッカーと共にあります。今日も、世界中のいろいろな年代、性別の人たちが、観るだけでなく実際にプレーしながらサッカーを楽しんでいます。

これだけたくさんの人を惹きつけるサッカーの魅力、それは一つのスポーツとしての楽しさもありますが、『共に戦っていく』スポーツという理由が大きいと思っています。サッカーは一人の力だけで試合に勝つことはできません。みんなで力を合わせて攻め、力を合わせて守る。『共闘』するスポーツだからこそ、一人でやるスポーツとは違った面白さや難しさがあり、その達成感や結束感が、人々の心をつかんでいるのではないでしょうか。

(広島サッカーの歴史で語り継がれる背番号11)

もし、サッカーが一人でプレーするスポーツであれば、ここまで長く楽しめていなかったのではないかと思います。チームメイト、そしてサポーターの皆さんと一緒に試合をつくり上げていける面白さ、勝利の喜びを知っているからこそ、今でもサッカーに携わっていますし、これからもそうしたサッカーの魅力を広めていきたいと思っています。

 そして、サッカーは生涯スポーツです。全国を見渡すと、シニアのリーグ戦が開催されるなど、幅広い年代の方たちが、サッカーを観るだけでなく、プレーして楽しんでいます。広島にもそういった文化がもっと根付いてほしいですし、僕自身も、環境を整えていくことに携わっていきたいと思っています。

 そのためにサンフレッチェ広島の存在は欠かせません。サンフレッチェに期待したいのは、『観ている人がワクワクするサッカー』です。いろいろなサッカーの形があっていいと思いますが、サッカーは楽しいものですから、その楽しさがたくさんの人に伝わるサッカーをしてもらいたいと思っています。そして、2024年、いま以上にサッカーが広島に根付き、街が紫に染まるなか、新スタジアムでの開幕戦がやってくる……。そんな未来がやってくることを楽しみにしています。


佐藤寿人

Hisato Sato

埼玉県出身。170cm /65kg
双子の兄・勇人と共に小学1年からサッカーを始め、2000年にジェフユナイテッド市原でJ1デビュー。セレッソ大阪、ベガルタ仙台を経て2005年にサンフレッチェ広島に移籍すると、MVP、得点王、ベストイレブンなどに輝く活躍で三度のリーグ優勝に大きく貢献。広島時代に身につけた背番号『11』は、現在でも同チームのエースの代名詞となっている。2020年に現役引退。現在は解説者・指導者として活躍している。