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カヌー日本代表選手から研究者へ、目指すは国際競技力向上、地域活性化の一助になること

広島経済大学経営学部スポーツ経営学科 准教授 山田亜沙妃

皆さん、はじめまして。広島経済大学准教授の山田(やまだ)亜沙妃(あさひ)です。

現在、私は広島経済大学スポーツ経営学科にて教鞭をとりながら、日本カヌー連盟の常務理事、そして強化部長を務めています。トップアスリートとしての経験を活かしながら、国際競技力向上をテーマに研究をしています。

2021年に開催された東京オリンピックでは、リオ大会でメダルを獲得した羽根田(はねだ)卓也(たくや)選手の奮闘や、葛西臨海公園の隣接地に整備された国内初の人工コース施設「カヌー・スラロームセンター」が話題になったカヌー競技ですが、簡単に説明すると2つの種目があります。直線コースをいかに速く漕ぐかを争うスプリント種目、そして激流の中、吊るされたゲートを通過する技術とタイムの両方を競うスラロームです。私は後者、スラロームの選手でした。

今回は、私の原点となるカヌー競技について、そしてスポーツが持つ広島のポテンシャルについてお話させてください。

※羽根田卓也…愛知県出身のカヌー選手。国際大会でメダル獲得や入賞しており、全日本選手権では14連覇を達成。2016年リオデジャネイロ五輪では、カヌースラローム競技でアジア勢の銅メダルを獲得。昨年開催された東京五輪では10位入賞を果たす。

ジュニア期より貫くカヌー一筋の人生

(東京オリンピック・パラリンピックへ組織委員として携わった)

私がカヌーを始めたのは、10歳の頃です。出身である千葉県流山市は利根川の支流があり、川沿いにカヌークラブがいくつかある、カヌーが盛んな地域になります。父が趣味としてカヌーを行っていたことをきっかけに競技を始め、小学校6年生の時に初めて全国大会へ出場しました。その後、中学校2年生の時に初めてU18日本代表に選抜され、平日は近所の川、週末はスラロームの聖地である奥多摩でトレーニングと、中学、高校は練習漬けの毎日でした。

幼少期から体育の先生になることが夢だったこともあり、大学は体育の教員免許が取れ、カヌー部がある、そして練習拠点である奥多摩に近いという好条件が決定打になり、東京女子体育大学へ進学しました。練習や海外遠征ばかりの日々を送っていたため、友人がアルバイトや学生生活を満喫する姿を羨ましく思ったものです。今となっては、海外遠征などの貴重な体験がたくさんでき、カヌーという自分の(人生の)核ができたことを嬉しく思っています。

アスリートから研究者の道へ

大学卒業後、2010年に中国・広州市で開催されたアジア大会カヌースラローム競技にて3位を獲得。これまで多くの国際大会に出場していましたが、大きな舞台でメダルを獲得するのは初めての経験でした。尚且つ、このアジア大会は、スラロームが初めて正式種目として採用された大会でもありました。準決勝まで1位通過し金メダルが目前まで見えていたのですが、決勝でミスをして銅メダルという結果に終わりました。メダルが取れたことは良かったのですが、もう少しメダルの色が良ければ…と当時の私は悔しく思っていました。

その後、2012年ロンドン五輪を目指して頑張っていましたが、国内の予選会で大きな失敗をして代表を逃してしまいます。その頃から、選手としての限界を感じ、セカンドキャリアを考え始め、もう一度勉強したいという思いから順天堂大学大学院へ進みました。大学院では、スポーツ社会学を専攻し、カヌーの育成システムが、諸外国と日本でどう異なるのかなどの研究に取り組んでいました。