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My Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第21回】コカ・コーラレッドスパークスホッケー部・小早川志穂

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。

連載第21回目は、フィールドホッケーチーム、コカ・コーラレッドスパークスホッケー部のフォワード、小早川志穂(こばやかわ しほ)選手が登場。昨年パリ五輪にも出場した小早川選手が、高校2年生の時に世代別日本代表の遠征で味わった初めての挫折感、社会人1年目で出場したW杯をきっかけに感じた葛藤と成長など、ホッケー人生で体験したターニングポイントについて聞いた。

◆周囲を驚かせた天才ホッケー少女が、U-18日本代表でぶつかった初めての壁

―まずは、小早川選手がホッケーを始めたきっかけを教えてください。当初から、周囲の大人が驚くほど才能を発揮していたと聞きました。

「姉2人がホッケーをしているのを見て、『かっこいいな』と思ったのが最初のきっかけです。ふたりを追いかける形で、小学校3年生の時にスポーツ少年団でプレーを始めました。当時から足が速かったこともあって、ドリブルしながら人を抜いてシュートまで行くというプレーが得意でした。もしかすると、そんな姿を見て『なにか違うぞ』と思われたのかもしれませんね」

―高校は、地元・島根県のホッケー強豪校・横田高校へ。その後は東海学院大学へと進まれました。学生時代の忘れられない試合や、ターニングポイントとなった出来事があれば教えてください。

「高校2年生の時にU-18という世代別の日本代表に選んでいただき、韓国遠征に参加する機会がありました。2年生ながら選んでいただいたので張り切っていたのですが、その遠征期間中は自分のパフォーマンスを100%出すことができず、5試合中、最後の3試合しか出ることができなかったんです。最終戦も、監督からは『お前は外で見ていてくれ』と言われ、すごく悔しかったことを今でも覚えています。ホッケーをしてきたなかで、初めて『壁』にぶつかった思い出でした。自分が出せる最大のパフォーマンスをしないと評価してもらえない、出場メンバーに選んでもらえない……ということが心に刺さったこの経験は、私にとって大きなひとつのターニングポイントだったと思います」

―それをきっかけに、小早川選手のなかで何か変化はありましたか?

「そうですね。『自分のできることをどんどんやらなければ』という、気持ちの変化が一番大きかったと思います。試合はもちろん、練習も『どんなボールにも食らいついてやる!』という意気込みで取り組みました。韓国遠征の2カ月後に開催されたアジア杯では自分らしいプレーができましたし、得点を決めることもできました。後になって知ったことですが、この時の私の姿を見て、監督や周りの方が『小早川、変わったな』と言ってくださっていたみたいですね。結果を残すことができ良い感覚をつかむこともできたので、悔しい経験もしましたが、そうした変化は韓国遠征から得たものかなと思います」

―悔しさをバネに、成長することができたのですね。東海学院大学を卒業後は、コカ・コーラレッドスパークスに加入されました。どういう経緯があったのでしょうか。

「地元が島根なので広島は近かったこともあり、高校時代からコカ・コーラのホッケーを見る機会が多かったんです。当時からかっこいいなと思っていましたし、自分にはコカ・コーラのプレースタイルが合いそうだな、楽しそうだなと感じていました。東海学院大学は岐阜県にある大学なのですが、岐阜県にはソニーHC BRAVIA Ladies(ソニー・ホッケークラブ・ブラビア・レディース)という競合チームがあります。ソニーのプレースタイルと比べても、コカ・コーラの方が私にはフィットするだろうなと思い、加入を決めました」

―具体的に、コカ・コーラのホッケーの特徴とは?

「大まかに言うと、コカ・コーラは個人のスキルも高いけれどチーム内のパスがすごく良い『パスホッケー』で、それに対してソニーは、ディフェンスからフォワードにロングボールをつないで、フォワードで勝負するという印象です。フォワードというポジションとしてはそれもうれしいのですが、中盤のミッドフィルダーも使いながら相手を撹乱し、最終的にフォワードがパスを受けてシュートに持ち込むという、『チームとして勝ちを目指す』コカ・コーラの戦い方に魅力を感じました」

◆マイナス思考を乗り越えてつかんだパリへの切符。2025年はチームで四冠を狙う

―実際にコカ・コーラレッドスパークスの一員となってみて、どうでしたか。

「コカ・コーラは五輪選手や代表選手も多く、非常にレベルが高いチームです。その中でプレーすることで自分も成長できると思いましたし、私自身、代表に入ってもっと上手くなりたい、このチームでも点をたくさん取りたいとも感じました」

―コカ・コーラでプレーするなかで、ご自身のターニングポイントになった出来事はありますか?

「大学3年生の時に膝の前十字靭帯を手術して日本代表を離れ、社会人1年目に再び代表に戻ることになりました。パリ五輪を目標として視野に入れつつ、2022年にスペインとオランダで開催されたFIH女子W杯に出場したのですが、ここでも、韓国遠征の時のようにうまく自分を表現できなくて……。実はもともとネガティブ思考というか、1つミスをしただけで考えすぎてしまったり、周りに否定されると自分の意見に自信が持てなくなってしまったりと物事をマイナスに考えがちな性格なんです。この時も、周りのみんなは『良かったよ』と声をかけてくれましたが、自分としては納得がいかないW杯になってしまいました。ただ、2024年のパリ五輪最終選考で選んでいただいたことで、この2年間で自分の実力を認めてもらえたのかなと思うことができるようになりました。私にとっては、これもひとつのターニングポイントだったのだと感じています」

―今シーズンの開幕戦は4月の予定です。チームの目標を聞かせてください。

「2025年度のチーム目標は、まだ成し遂げたことがない、『日本リーグ』・『プレミアムカップ』・『国民スポーツ大会』・『全日本選手権』の四冠達成です。引退する方もいれば新加入選手もいて新しいチームになりますが、目標に向けて一歩ずつ、自分たちのやりたいホッケーをつくり上げていきたいと思います」

―最後に、これからホッケー観戦に行ってみようという方へ、競技と小早川選手の魅力を教えてください。

「ホッケーは攻守の切り替えがすごく多いスポーツなので、ボールを追いかけながら見るのは忙しいですが、そのスピード感こそが観戦の醍醐味だと思います。私はフォワードという、一番ゴールに近く、点を取りやすいポジションです。空中でボールを扱う『3Dドリブル』というプレーが得意なので、そこからチャンスメイクするところや、どんなボールにでも食らいついてシュートを決める、ゴール前での執着心に注目してもらいたいです」

―初の四冠達成を楽しみに、今シーズンも応援させていただきます!

「はい、よろしくお願いします!」

小早川志穂選手の【My Turning Point】

☆ 高校2年生の韓国遠征で試合に出られず、悔しさから練習の取り組み方が変化
☆ 納得いくプレーができなかったワールドカップから2年で成長を遂げパリ五輪代表へ


小早川志穂(こばやかわ しほ)
 Shiho Kobayakawa

1999年4月12日、島根県出身。
ポジションはフォワード。島根の強豪・横田高校から東海学院大学を経て2022年にコカ・コーラレッドスパークス入り。2014年ジュニアユース日本代表、2018年からシニア日本代表に選ばれる。膝の怪我のため代表離脱中に東京五輪があり、2024年のパリが五輪初出場となった。

◆チーム情報/コカ・コーラレッドスパークスホッケー部
1996年に創部した、広島市をホームグラウンドとする女子フィールドホッケー実業団チーム。2011年に日本リーグで初優勝を飾ると、2012年には日本リーグ・社会人選手権・全日本選手権で優勝し『三冠』を達成した。2022年にはホッケー日本リーグで2年ぶり5度目となる優勝、2023年には連覇を果たしている。2025年シーズンは日本リーグ、プレミアムカップ、国民スポーツ大会、全日本選手権の四冠達成を目指す。