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My Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第19回】小泉病院ブルーアローズ・川村まつり
新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。
本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。

第19回となる今回は、三原市を拠点に活動する小泉病院ブルーアローズから、ピッチャーの川村まつり(かわむら まつり)選手が登場。先輩に誘われて始め、いつしか夢中になったソフトボール。小泉病院で勤務をしながら日本女子ソフトボールリーグの頂点に挑む川村選手が、競技と深く向き合うきっかけになった『忘れてはいけない試合』、そして、大切な先輩と組んだ『忘れられない最後の試合』を語ってくれた。
◆高校時代の悔しい試合が、自身にとって『忘れてはいけない試合』になった
−大阪府出身の川村選手ですが、高校は鳥取の鳥取城北高校に進まれました。いわゆる、ソフトボール留学でしょうか。
「ソフトボールを始めたのは小学3年生の時でした。仲良しだった先輩が誘ってくれて、練習に参加するようになったのがきっかけです。当時はピッチャーをしながら、内野もしたりといろいろなポジションでプレーしていましたが、そのうちにピッチャーがメインになっていきました。中学、高校とピッチャーとしてプレーして、推薦をいただいて城北高校に進学することになりました」

−投手がメインになったのは、何かきっかけがあったのですか?
「一緒に練習に参加していた友達といろいろなポジションでプレーしていたのですが、『一番ピッチャーに向いている』と言われて、そこからですね。当時はグラウンドの真ん中のマウンドに立てるし、純粋にうれしかったことを覚えています。まだ小学生でしたし、試合でもあまりプレッシャーを感じることもなかったので、むしろ『たくさん投げることができてうれしいな』という感じでした(笑)」
−学生時代の試合で、特に思い出に残っているものはありますか?
「高校2年生の時に出場した全国大会です。6回まで2-0でリードしていたのですが、6回の裏で私がスリーランホームランを打たれてしまって逆転負けしてしまったんです。その時に改めて、1球の重みというものを感じました。あの試合は忘れられないですし、私にとって『忘れてはいけない試合』になっています」
−1球で流れが変わるということもあり、ピッチャーはプレッシャーのかかるポジションでもあると思います。川村選手がマウンドに上がる時に、心がけていることはありますか?

「私は結構プレッシャー感じるタイプで……。特に、ランナーが溜まってしまうと『どうしよう』という気持ちになってしまうんです。ただ、ピッチャーの自信のなさや『打たれたらどうしよう』という不安な気持ちは打者にも伝わってしまいますし、相手にチャンスを与えてしまいかねません。ネガティブな気持ちは試合中に出さないように、逆に『打ってみろ』という気持ちでマウンドに上がるようにしています。もし周りがエラーをしても、笑顔で『大丈夫、大丈夫!』と声をかけるようにしていますね」
−笑顔でいることで、周りにも良い影響が出るのかもしれませんね。
「そうですね。ただ中学校くらいまでは、キャッチャーと喧嘩をしてしまったり、マウンド上で感情を態度に出してしまうことも多かったんです。試合中にピッチャーがそういう態度をしてしまうと、チームの雰囲気とかも悪くなってしまうんですよね。逆にピッチャーが笑顔でいれば、周りの選手の気持ちも違います。そこに気がついてからは、マウンドでは笑顔でいることを心がけるようになりました」

−中学時代の経験が、今の川村選手のスタイルをつくり上げたのですね。ソフトボールをずっと続けると決意されたのはいつ頃ですか。
「大学生の時です。高校までは試合で投げる機会も多かったのですが、進学したIPU・環太平洋大学のソフトボール部ではなかなか出番をつかむことができませんでした。私自身、ソフトボールが大好きでしたし、何より、これまで指導してくださった監督やコーチのみなさんや、どんなに遠くても試合を見に来てくれる家族に『なんとか良い姿を見せたい』という思いが強くなってきて。それで、もっとソフトボールを続けようという気持ちになりました」
−恩返しのような思いもあるのですね。
「そうですね。そこから卒業後の進路としてソフトボールを続けようと考えるようになりました。当時、大学のソフトボール部でバッテリーを組んでいた藤井美七花さんという先輩がブルーアローズに所属していて、藤井さんともう一度バッテリーを組みたいという思いもあって、ブルーアローズへの入団を決めました。藤井さんは昨シーズン限りで引退されたのですが、ブルーアローズでもバッテリーを組むことができたのはうれしかったですね」
−藤井選手とバッテリーを組んだ試合で、印象的な試合は?

「私は社会人に入って2年間、なかなか結果を残すことができなくて、ずっとチームの足を引っ張ってしまっているという思いがありました。そんな時でも藤井さんは自主練に付き合ってくださって、球を受けてくれたり、いつも近くにいてくれたんです。その藤井さんの最後の試合で完投して勝利投手になれたことは、自分にとっても忘れられないですね」
−やはり、登板時の気持ちも違ったのですか。
「藤井さんが辞めることは聞いていましたし、これが最後の試合だとわかっていたので、なんとか良い試合にしたいという気持ちがありました。その気持ちが、ピッチングにも出たんだと思います」
◆応援してくれる人にも元気を届けるような、そんなプレーに注目してほしい
−ブルーアローズというチームは、どんなチームなのでしょうか。

「私たちは、試合を見に来てくださる方や応援してくださる方に、試合を楽しんでいただけるような、元気あふれるプレーをすることを今季の目標に掲げています。今年は新たに10人の選手が入団してくる予定で、チームの顔ぶれが大きく変わりますが、応援してくださるみなさんも一緒に巻き込んで楽しんでもらえるようなプレーをお見せできるようにがんばります。ぜひ、試合会場に足を運んでいただけるとうれしいです」
−ブルーアローズは日本女子ソフトボールリーグ(JSL)に参戦されていますね。今シーズンの開幕はいつですか?
「毎年4月に開幕し、11月までがリーグ戦のシーズンになります。試合以外でもみなさんにソフトボールという競技に触れていただくためにいろいろな企画をしているので、ぜひ注目していただければと思います」
−具体的に、どんな企画なのでしょうか。

「2024年からスタートした、『チャレンジ10,000人とキャッチボール』という企画です。応援してくださる地域のみなさんや、ソフトボールに興味のある方など10,000人とのキャッチボールを目指す企画で、JSL所属の12チームが参加しています。ソフトボールをしたことのない方でも参加していただけるので、選手とのキャッチボールをきっかけに興味を持ってもらえたら良いなと思っています。ソフトボール選手とキャッチボールができる機会ですので、ぜひチェックしてみてください」
−本日は、ありがとうございました!今シーズンの川村選手の活躍に注目しています。
「はい、ありがとうございます!」
川村まつり選手の【My Turning Point】
☆ 自身が投げて逆転負けを喫した、高校時代の悔しい試合が競技に向き合う原動力に
☆ 出場機会がつかめず、「支えてくれた人に良い姿を見せたい」と誓った大学時代
☆ 学生時代のバッテリーが再結成。小泉病院で先輩捕手と組んだ最後の試合

川村まつり(かわむら まつり)
Matsuri Kawamura
2001年3月5日、大阪府出身
小学生からソフトボールを始め、高校時代は地元を離れ鳥取県のソフトボール強豪校・鳥取城北高校へと進学。IPU・環太平洋大学ではインカレ準優勝、3位に輝き、2023年に小泉病院ブルーアローズに加入した。マウンド上では『常に笑顔、常に全力!』をモットーに、チームを明るくけん引する。
◆チーム情報/小泉病院ブルーアローズ
2019年に創部し、2022シーズンから日本女子ソフトボールリーグ(JSL)に参入中の実業団チーム。JSLはプラチナセクション・サファイアセクションに分かれており、ブルーアローズはサファイアセクションに所属している。2023シーズンはセクション準優勝。今シーズンはさらなる飛躍を目指す実力派の実業団チームだ。2022年4月に、チーム名を小泉病院女子ソフトボール部から小泉病院ブルーアローズに変更した。