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My Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第17回】中国電力陸上競技部・岡本直己

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。

第17回となる今回は、30年以上の歴史を持つ中国電力陸上競技部から、岡本直己(おかもと なおき)選手が登場。コツコツ努力を続けて結果につなげ、1つずつ自信を積み重ねてトップレベルの選手へと上り詰めた岡本選手。全国レベルで戦える自信を持てた中学3年の全国都道府県対抗男子駅伝競走大会、『人のために』走る意識がより高まった人生の転機など、これまでの競技生活で経験したターニングポイントについて聞いた。

◆努力して結果を出して、一つずつ自信を積み重ねてきた競技人

―岡本選手は中国電力陸上部で最年長の選手となります。まずは、これまでの選手キャリアを振り返ってお話をお伺いしたいのですが、陸上競技を始められたのはいつ頃ですか?

「競技として始めたのは中学からです。小学生の時は、休み時間にちょっとしたランニング程度しかしていなかったのですが、当時も800メートルの県大会に出たりはしていました。6年生から中学校1年生の間に10センチ近く身長が伸びてタイムも20秒更新したのですが、私にとってはここが1つめのターニングポイントだったと思っています」

―20秒も更新されたのは、すごいですね。中学から本格的に競技を始めて、印象に残る大会などはありますか。

「中学3年生の時に出場した、全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(天皇盃)です。中学では全国大会で思うような結果を残せていませんでしたし、長距離はキツいので『あまり活躍できないのに高校でもキツい思いをするのは嫌だな』という気持ちもあって、部活優先で進学先を選ぶか、普通に進学するかで揺れていたんです。天皇盃は、もしかするとこれが最後の大会になるかもしれないと思いながら臨んだのですが、そこで思った以上の結果を残すことができ、『全国で通用するかもしれない』という自信が生まれました」

―高校は、地元・鳥取の由良育英高校(現在の鳥取中央育英高校)へ進まれました。由良育英高校といえば、陸上の強豪校ですよね。

「鳥取県内では、そうですね。高校では3年間、全国高等学校駅伝競走大会に出場しました」

―その後進学された明治大学では、2年生から、3年連続で箱根駅伝に出場されました。岡本選手にとっても、やはり箱根駅伝は特別なものですか。

「特別でしたね。歓声も、観客の数もこれまで経験したどの大会とも全く違います。箱根駅伝の沿道から送られる熱い応援は、やはり特別だと思います」

―卒業後も実業団で陸上を続けようと思った背景には、どのような思いがあったのでしょうか。

「大学3年生の時に、中国電力陸上部の前監督である坂口泰さんが声をかけてくださったことがきっかけです。それまでは主に駅伝を走っていましたが、マラソンにも興味があったんです。中国電力はマラソンの強豪でもあったので、入団を決めました。ただ当時の中国電力は、現監督の佐藤敦之さんや、広島経済大学の監督をされている尾方剛さん、今も会社に残られている油谷繁さんの3人が現役で在籍されていました。みなさんは世界陸上や五輪に当たり前のように出場されていましたし、チームとしても全日本実業団対抗陸上競技選手権大会でも優勝常連のチームだったので、そこでやっていけるかどうかは、実はあまり自信がなかったんです」

―それは意外です。入社直後からご活躍をされているイメージでしたが……。

「もちろん私自身、チームにふさわしい選手になろうと努力はしていました。4年生の箱根駅伝が終わると気が抜けてしまいがちなんですが、そのままチームに合流するのが怖くて、箱根駅伝が終わってすぐに準備を始めました。おかげで中国電力陸上部に入部してからも、すぐ流れに乗ることができました。日本一は当たり前で、世界を狙うようなチームでしたから、先輩方に引っ張ってもらったことで競技力も伸びたのだと思います」

◆応援してくれる人に喜んでもらえるような成績を出したい

―2018年には、北海道マラソンで優勝されました。

「初マラソンから10年近く経ってからの初優勝でした。マラソンをやるために実業団でも陸上を続けたわけですが、思っていたより難しかったですね。厚底のシューズが出たことで走れるようになったので、その影響も大きかったと思います。練習もそのタイミングで距離より質を重視した内容に切り替えて、よりレースに近いペースで走るようにしたので、それも相乗効果を生んだのかもしれません」

―シューズの改革も大きなポイントだったのですね。

「そうですね。個人的な話では、結婚したことも大きなターニングポイントの一つでした。今までも、家族や友人など応援したり結果を喜んでくれたりする人はいましたが、身近で支えてくれる人ができ、改めて応援が力になるということに気づいたというか……。『自分のため』に走っていたところが、『人のため』に走れるようになったというか、応援してくれる人に喜んでもらえるような成績を出したいと、より強く思うようになりました」

―そうした応援を力に変えて、次の目標をどこに置いていますか。

「元日のニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝競走大会)ですね。今のところ、入社してから毎年出場しているので、次の大会で18回目の出場になります。この出場記録は途切れさせたくないと思っています」

―今年の11月中旬には、今季ベストのタイムが出たとお伺いしました。

「はい。練習では走れても結果に結びつかず、『もうダメなのかな』と思うこともありましたが、ようやくマッチしてだいぶ気持ちが上向いてきました」

―陸上長距離の選手として、40歳という年齢をどのように捉えていますか?

「一般的には厳しいと言われていると思います。ただ、実業団登録されている選手には私の1歳上の方もいますし、一つ下にも強い選手がいるので、我々で常識を壊しているところです。最後まで諦めない走りが持ち味なので、レース以外でもその粘り強さが表れているのかもしれませんね」

―では、今後の抱負や目標をお聞かせください。

「駅伝でもう一度、中国電力として優勝したいです。私自身がそれにどこまで貢献できるかですが、優勝する景色は見たいですね。表彰台の一番高いところに立って、テレビの優勝インタビューを受けたいです」

―最後に、広島県民のみなさんにメッセージをお願いします。

「練習で走っていると『頑張ってね』や『正月、見ているよ』と声をかけていただくことがあるのですが、そうした声援はすごく励みになっています。ぜひ、中国電力陸上部の選手を見かけたら、気軽に声をかけていただけるとうれしいです。これからも引き続き、応援よろしくお願いします!」

岡本直己選手の【My Turning Point】

☆ 小学校6年生から中学校1年生で10cm身長が伸び、記録も伸びた
☆ 中学3年生の都道府県対抗駅伝で、全国に通用する走りをできて自信になった
☆ 厚底シューズ登場でマラソン初優勝
☆ 結婚をきっかけに、改めて、応援が力になると気づいた


岡本直己(おかもと なおき)
 Naoki Okamoto

1984年5月26日、鳥取県出身。
由良育英高校、明治大学を経て2007年に中国電力入社。全日本実業団駅伝ではルーキーイヤーの2008年に外国人ひしめく3区で区間12位(日本人1位)を獲得し、2011年からはエース区間の4区を任されるなど活躍。都道府県対抗男子駅伝は全選手中最多の19回出場し、『ミスター駅伝』の愛称で知られる。2019年には大会通算100人以上を追い抜き、大会唯一となる『韋駄天賞』を受賞した。ロンドンから4大会連続で五輪代表を目指し、代表選考会であるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)にも出場したが、五輪出場はならなかった。周りの支えと応援を力に変え、2007年以来の優勝を目指す。

◆チーム情報/中国電力陸上競技部
1989年創部。2004年の全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)で初優勝を飾ると、2001年から2008年まで8年連続で3位以内に入賞するなど、日本でもトップクラスの実力を誇る。現在は卓球部・ラグビー部とともに中国電力のシンボルスポーツチームとして活動。五輪代表として活躍した尾方剛(おがた つよし)、油谷繁(あぶらや しげる)、佐藤敦之(さとう あつし)ら、世界レベルのランナーを数多く輩出している。