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My Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第16回】マツダスカイアクティブズ広島・加藤滉紫

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。

(左側)マツダスカイアクティブズ広島・加藤滉紫選手

12月21日に新シーズン開幕を迎えるJAPAN RUGBY LEAGUE ONE(通称・リーグワン)。今回のインタビューでは、マツダスカイアクティブズ広島のプロップ・加藤滉紫(かとう こうし)選手が登場する。強豪・天理大学へ入学後にポジション転向を決意し、恩師であるコーチとともに練習に取り組み才能が開花。マツダスカイアクティブズ広島への加入を決めたきっかけなど、ラグビー人生で体験したターニングポイントについて話を聞いた。

◆恩師とともに取り組んだポジション転向がラグビー人生を変えた

―加藤選手がラグビーを始めたのは、おいくつの時ですか?

「小学校1年の時ですね。友達に誘われてラグビースクールに入りました。僕の地元はOBも多くジュニア世代が活発な土地柄で、そのチームにも同世代の子が多かったことを覚えています」

―小学校低学年から競技をスタートされたのですね。その一方で、中学では駅伝競技もされていたと聞きました。

「はい。土日はラグビーをしながら、平日は駅伝部で練習していました。長距離走には自信があったのですが、前に人がいたり後ろから追い上げられたりすると自分のペースで走れないので、なかなか難しかったですね。駅伝部では、思ったようには活躍できませんでした」

―高校は、推薦で専修大学松戸高校へ進まれました。

「千葉の高校ラグビーでは、流通経済大学付属柏高校(以下、流経)がいちばん強かったんです。そこで、同じ中学の仲間数人で『俺たちで流経を倒そう』を合言葉に、ライバル校である専修大学松戸高校に進みました」

―県予選の決勝では、その流通経済大学付属柏高校との対戦が実現したそうですね。

「はい。決勝は2年と3年の時に出ましたが、どちらも負けてしまいました。やはり流経は強かったです。30年近く千葉でNo.1の高校なので、なかなかその壁は破れませんでしたね」

―当時のポジションは、花形と呼ばれる『ナンバー8』でした。攻撃時には自らトライ(得点)を狙い、守備時にはタックルで相手を食い止めるなど、まさにチームの中心で活躍するポジションと聞いています。

「そうですね。高校時代は同じポジションの選手が少なかったこともあり、主にナンバー8でプレーしていました」

―天理大学に進学後は『プロップ』というポジションに転向されました。何かきっかけがあったのでしょうか。

「天理大学は強豪校で、1学年に140人くらい部員がいました。みんな高校時代に全国大会に出たり優勝したりしたという経験のある選手ばかりで、なかにはトンガ人の留学生もいたんです」

―ポジションを争うライバルがたくさんいたのですね。

「はい。そのなかで、ナンバー8で試合に出られるとは思えなくて……。では、どこなら出場するチャンスがあるだろうと考えた時に、『走れるのが自分の強みだ』と思ったんです。プロップはスクラムを組んだ時に土台となるポジションで、体の大きな選手も多く、まさに『縁の下の力持ち』です。パワーが重要になるのですが、そこでさらに走ることもできれば需要があるのではないかと考えたのが、ポジション転向を決めた大きな理由でした。確か、1年生の夏頃だったと思います。この決断は、自分にとっても一番の転機だったと思います」

―プロップというと、最前線で戦う、特に大変なポジションというイメージがあるのですが。

「たしかに大変です。ですが、努力が実るポジションだとも思います。誰もが通る道ですが、スクラムを組む練習を始めた頃は首の後ろの皮がむけて、すごく痛かったです。ただ、天理大学ではプロップ出身の岡田明久コーチが目をかけてくださり、タックル練習なども指導してもらうことができて、とても勉強になりました」

―努力が実って、新しいポジションで花を咲かせたわけですね。

「岡田コーチとの出会いは、自分の中ではとても大きかったですね。練習で肩車をさせられることもあって『こんなことで強くなるのか?』と思ったこともありましたが、今となっては本当に感謝しています」

―大学時代で印象に残っている試合はありますか?

「プロップとして初めて公式戦の試合に出た時です。出場選手に選ばれて、ジャージをもらった時はうれしかったですね。3年の時の関西大学リーグで、相手は確か立命館大学だったと記憶していますが、自分が得意とすることで結果が出せた試合でした」

◆仕事100%、ラグビー120%で最後まで諦めないのがマツダスカイアクティブズ流

―その後、4年生の時には関西大学リーグ3連覇と大学選手権準優勝に貢献されました。マツダスカイアクティブズ広島には、どのような経緯で入団されたのでしょうか。

「大学3年の時、チームから声をかけていただいたのがきっかけでした。当時はリザーブ(控え)のことが多かったのですが、そんななかでも声をかけていただけたことは、すごくうれしかったですね。4年になってからはスタメンで出る機会も増えてきたので色々なチームから声がかかっていたのですが、一番最初に声をかけてくれたチームに行きたいと思って、マツダを選びました」

―SNSで『マツダは仕事100%、ラグビー120%のチーム』と紹介されていました。

「はい。本当にそんな感じです。僕たちは、日中は基本的に社業に従事していますが、自分のなかではラグビーが一番だという思いもありますし、すごく良い経験をさせてもらっていると思います。大変なことも多い分、試合で勝った時は本当にうれしいんです。これは、大学の時にはなかった感覚ですね」

―12月21日にはリーグワンの新シーズンが開幕します。抱負を聞かせてください。

「リーグワンは、ディビジョン1から3までの3つのカテゴリーに分かれています。ディビジョン1が最上位のカテゴリーになり、どのチームも昇格を目指してシーズンを戦います。マツダスカイアクティブズ広島は現在ディビジョン3に所属しているので、まずは全試合で勝って、ディビジョン2に再昇格したいですね。新シーズンは3チームほど新規参入するので試合数も増えますし、昇格争いが今までより厳しくなるのは間違いありません。ただ、マツダスカイアクティブズ広島も新シーズンを見越して補強をしていますし、グラウンド併設のウエイトルームなど、施設も良くなって練習環境もより整ってきました。プレシーズンマッチを戦ってきて、今のところすごく良い手応えを感じています」

―練習環境をはじめ、会社を上げてサポートしてもらえているんですね。

「試合には会社の人もたくさん来てくれますし、スタッフがすごく頑張ってくれていて、僕たち選手が知らないところでもたくさん働いてくれています。支えてくださっているその人たちのためにも、絶対に結果を残したいと思っています」

―そうした背景を知ると、ますます新シーズンの開幕が楽しみになります。初めてラグビーの試合を見る人に、ラグビーという競技や、マツダスカイアクティブズ広島というチームの魅力を教えてください。

「ラグビーは、いろんな人がいろんなポジションでプレーできるところが魅力ですかね。例えば体が小さくても、自分の努力次第でいろんなものになれるところは、他の競技にはなかなかない魅力だと思います。マツダスカイアクティブズ広島は、どんな試合でも絶対に諦めないので、最後の最後までタックルもしますし、得点も狙いに行きます。試合時間の80分間を通して、ずっと楽しめるのが僕たちのラグビーだと思います」

―では、加藤選手ご自身としては、ご自分のどんなところを見てほしいですか?

「スクラムを見てほしいですね。あとは、とにかくすごく走るので(笑)。ぜひ、そんなところにも注目してください!」
 
―ありがとうございます。2024-25シーズン、楽しみにしています。

「はい、ありがとうございます」

加藤滉紫選手の【My Turning Point】

☆ 大学1年の時、出場機会を求めて『ナンバー8』から『プロップ』にポジション転向
☆ 恩師・岡田明久コーチと出会い、指導により短期間で強いプロップに成長できた



加藤滉紫(かとう こうし)
Koshi Kato

ポジションはPR(プロップ)。
専修大学松戸高校ではフランカーやナンバー8など、フォワードの中でも最後列のポジションを務めたが、天理大学入学後は最前線のプロップへ転向。タックルと走力を強みに、大学4年時には関西大学リーグのベスト15にも選ばれた。マツダスカイアクティブズ広島は入団6年目で、広島の好きなところは「ごはんが美味しいところ」。2022-23シーズン開幕戦にアキレス腱断裂の大ケガを負ったが克服し、2023-24シーズンは全試合出場を果たした。

◆チーム情報/マツダスカイアクティブズ広島
1961年、マツダに誕生した社会人ラグビーチーム。2003年のトップリーグ開幕後はチーム名を『マツダブルーズーマーズ』とし、2部リーグに当たるトップキュウシュウAに所属。2007〜 2009年にかけては同リーグ3連覇を成し遂げた。2022年からは、国内のラグビーリーグ・JAPAN RUGBY LEAGUE ONEに参加。チーム名も『マツダスカイアクティブズ広島』へと改称し、チームカラーもダイナミックな赤/黒へと変更された。現在はディビジョン3に参戦中。ディビジョン2への昇格を目指している。