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My Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第11回】どんぐり北広島ソフトテニスクラブ・岩倉彩佳選手

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。

連載第11回目は、県北西部の北広島町で活動するどんぐり北広島ソフトテニスクラブ、通称「どん北」から岩倉彩佳(いわくら あやか)選手が登場。高校時代の恩師との出会い、コロナ禍に味わった不完全燃焼を解消すべく、競技生活の続行を決めたこと、そして、出場した大会での偶然の出会いがどん北との橋渡ししてくれたことなど……。ソフトテニス人生で体験した、数々のターニングポイントについて聞いた。

◆全国から注目されながらも地元進学。恩師との出会いで人生の道筋が開けた

―岩倉選手は大分県のご出身ですが、まずは、ソフトテニスを始めたきっかけから教えていただけますか。

「小学1年生の時、学校の先輩たちに誘われたのがきっかけでした。最初はテニスといえば硬式テニスのことだと思っていたので、あの黄色いボールは『当たると痛そうだな』と思って断っていたんです。見学に行って初めてソフトテニスだと知り、実際にやってみたら楽しくて、そこから本格的にソフトテニスを始めることにしました」

―小学生から競技を始めたということは、選手キャリアとしてはかなり長いのではないでしょうか。これまでを振り返って、転機となるような出来事はありましたか?

「中学1年の時、全国中学校ソフトテニス大会で団体2位になって、2年の都道府県選抜ではシングルスの部で2位になりました。おかげで県外の高校からもお誘いをいただいたのですが、当時は『県外に出てまでテニスをやる必要があるのかな?』という思いがあったんです。私の地元の大分県にも、全国で活躍している学校があります。まずは県内で進学先を探そうと思っていろいろな学校に練習見学に行った時、恩師と呼べる存在の先生と出会いました。その先生は、まだ入学を決めてもいない私の育成プランを立ててくださり、『この大会は1年生から出して優勝させたい』と熱弁してくれたんです。『ここで必要とされているんだ』と感じて、入学する高校を決めました」

―恩師の先生との出会いが、大きなターニングポイントだったんですね。

「そうですね。今までで一番のターニングポイントでした。先生との出会いがなければ、『どんぐり北広島ソフトテニスクラブ(以下、どん北)』に入るという選択肢も生まれなかったと思っています」

―その先生のもとで3年間プレーされて、ご自身が一番成長できたと思うのはどんなことでしょうか。

「人間性ですね。中学生の時はまだ幼くて、負けず嫌いなせいで試合中の態度も悪かったし、ダブルスでプレーしていても、ペアを組んでいる味方の選手にも頼らない自分勝手な人間でした。ただ高校に入ってからは、技術面だけでなく、『日本一を目指すにはまず人格からだ』と教えていただき、そこから考え方を変えることができたと思います。プレーヤーとしてだけでなく、人としても、少しずつ成長できた3年間でした」

―当時から、高校卒業後もソフトテニスを続けていこうと決めていたのですか?

「いえ、実は最初は『テニスは高校までで良い』と思っていました。ただ、高校2年生の時に参加したJOC(ジュニアオリンピックカップ大会)という大会の、U-17の部でシングルス優勝したんです。全国大会で優勝するのはこの時が初めてでした。それまで、『日本一になりたい』とは言いながらも、心のどこかでは『私には無理』と感じている部分があったんです。ただ、この大会で優勝したことで欲が出て、『もうちょっと頑張りたい、もっとソフトテニスを極めたい』という気持ちが芽生えました」

―全国大会で優勝したことで、ソフトテニスとの向き合い方が、少し変化したのですね。

「はい。それが2020年でした。ここからもっとソフトテニスを極めよう、もっと上に行きたい……と思うようになった途端に起こったのが、コロナ禍だったんです」

―2020年というと、当時は高校3年生ですか。

「そうですね。最後のインターハイや高校選抜も、すべて中止になりました。ちょうど自分の気持ちも変化していた時期だったので、余計に不完全燃焼のような感じになってしまったんです。『このままでは終われないな』という思いから、高校卒業後もソフトテニスを続ける道を意識するようになりました」

◆生まれ育った地元を離れて「やりたいテニスに一番近かった」どん北へ

―高校卒業後は地元の大分県を離れ、広島県北広島町を本拠地とする『どんぐり北広島ソフトテニスクラブ』に加入されました。加入までの経緯をお伺いできますか。

「高校1年生の時に初めて出場した大会が大きな転機になりました。高校、大学、社会人それぞれのトップが出場し、高校生が大学生や社会人と対戦することもある大会だったのですが、私たちは決勝まで進み、城山観光という社会人の強豪と対戦しました。今思えば、初出場だからこそ、すごさもよく分からないままプレーしたのが良かったみたいで(笑)。社会人を破って、優勝することができたんです」

―初出場だからこその『勢い』があったのかもしれませんね。そこから、どん北へはどうつながっていくのでしょうか。

「決勝で対戦した城山観光のコーチが、偶然にもどん北のOGだったんです。私のプレーを見たそのコーチがどん北の中本裕二監督に連絡をしてくださり、声をかけていただくことになりました。どん北のテニスが私のやりたいテニスに一番近かったことも、加入の決め手でしたね」

―まさに運命の出会いですね。地元を離れ北広島に来て、ご自身が変化した部分はありますか?

「たくさんあります。なかでも、中本監督との出会いは大きかったですね。選手としてはもちろん、今は社会人として必要なことも教えていただいています。おかげで、さらに考え方が変わりました。どん北は、北広島町の人が全力で応援やサポートをしてくださるんです。そこは本当にすごいなと思っています。地域の人が、『私たちのためにここまでしてくれるんだ』と驚きました」

―町のみなさんが、選手のみなさんの成人式などを企画してくださると聞きました。そこまでどん北が愛されている理由は何でしょうか。

「代々の先輩たちのおかげもあると思います。地域のみなさんによく言われるのは『仕事して練習もして、えらいね』ということです。選手はみんな、平日は朝から夕方まで働いて、その後に練習をしています。大変なことも多いですが、だからこそ、私たちの『本気度』が町のみなさんに伝わっているのではないかと思います。あとはやっぱり、中本監督の人柄ですよね。監督と話をすると、みなさん元気になるし、笑顔になられます。地域のみなさんには本当に支えていただいているので、お返しをしていきたいと思っています」

―では最後に、今後の目標をお伺いできますか。

「チーム全体の目標でもありますが、一番は、日本ソフトテニス界最高峰の大会である『皇后杯(全日本選手権)』で優勝することです。来年はアジア大会など世界を舞台にした大会も開催されるので、そうした大会で日本代表になり、世界でも活躍できる選手にもなっていきたいと思います」

―代表になった岩倉選手の姿を、北広島のみなさんも楽しみにされていると思います。

「はい。頑張ります!」

岩倉彩佳選手の【My Turning Point】

☆ 高校時代、選手としても人としても育ててくれた恩師との出会い
☆ 全国大会V直後のコロナ禍で大会がなくなり、不完全燃焼のため競技生活続行を決意
☆ 高校時代のインドア大会でどん北OGと出会ったことが、チーム加入のきっかけに


岩倉彩佳(いわくら あやか)
 Ayaka Iwakura

2002年8月22日、大分県出身。
ポジションは後衛。2015年の第46回全国中学校大会女子団体戦、2017年の都道府県対抗全日本中学生大会女子シングルスの部で準優勝。高校1年生の2019年9月には、JOC杯ジュニアオリンピックカップ・第26回全日本ジュニア選手権大会U-17で、2年前に都道府県対抗決勝で敗れた相手・濱島怜奈を下して初の全国タイトルを獲得した。高校卒業後、2021年にどんぐり北広島ソフトテニスクラブに入団。2023年秋から高橋乃綾とペアを組んで年末には初開催のJAPAN GP 2023で初代女王に輝き、今年1月には東京インドア全日本大会でも優勝を飾った。

◆チーム情報/どんぐり北広島ソフトテニスクラブ
2015年、地域密着型クラブとして北広島町に誕生した女子ソフトテニスクラブ。地元住民には「どん北」の愛称で親しまれている。日本ソフトテニス界の第一人者である中本裕二監督のもと、ナショナルチーム選手や年代別代表を多数輩出。日本トップレベルの女子ソフトテニスチームとして活動を続けている。選手たちは県外から北広島町に移住し、地元企業などで働きながらトレーニングを重ねている。地域密着を掲げ、高校生をはじめとする地元の子どもたちに向けたソフトテニス教室なども定期的に開催している。