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My Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第10回】サンフレッチェ広島レジーナ・瀧澤千聖選手
新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。
本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。
連載第10回目となる今回は、サンフレッチェ広島レジーナから瀧澤千聖(たきざわ ちせ)選手が登場する。2024-25シーズン、新たに背番号『10』を背負い、副キャプテンへの就任も決まった瀧澤選手。「サッカーだけに集中するのは高校まで」と決めていた瀧澤選手が、プロを目指すことになったきっかけは一体何だったのか。移籍、故障など、さまざまなターニングポイントを経てさらなる活躍に期待がかかる、瀧澤選手のこれまでの選手人生を聞いた。
◆1年ごとに新たな道が見え、視野が広がった高校時代
―まずは、瀧澤選手が競技を始めたきっかけからお伺いします。どういった経緯で、サッカーの世界に足を踏み入れたのでしょうか。
「ひとつ上の兄が先にサッカーを習い始めて、よくその送迎について行っていたんです。兄を待っている時間にボールを蹴ったりしていたら、そのうち同い年の子たちが誘ってくれるようになって、自然とプレーするようになりました」
―何歳くらいの時のことですか?
「チームに入ったのは、小学校3年生の終わりぐらいですね。そこから本格的に取り組むようになりました。ただ、実は中学生の頃までは、『サッカーにだけ集中するのは高校まで』という気持ちでいたんです」
―そうだったんですか。では、「サッカーを続けたい、サッカーで生きていきたい」と気持ちが変わったのはいつ頃ですか? 何かきっかけがあったのでしょうか。
「中学校の時は、『サッカーは、高校3年間で全てやりきって終わろう』と考えていました。そこで、サッカーにより集中するために、地元の長野を離れて東京の十文字高校に進むことを決めたんです」
―十文字高校というと、高校サッカーの強豪校ですね。そこでプレーしたことで、瀧澤選手の心境にも変化が生まれたのですか。
「はい。十文字高校で全国大会にも出場するようになると、いろいろな方に注目していただく機会が増えていきました。1年生の時にはU-16の日本代表に選んでいただき、翌年にはU-17にも参加させていただきました。そうした経験を積むなかで、進路としては『なでしこリーグ』もあるし、大学でサッカーを続ける道もあると感じるようになりました」
―高校卒業後も、サッカーを続けるという選択肢が生まれたわけですね。そして高校卒業後、地元クラブでもあるAC長野パルセイロ・レディースに加入し、なでしこリーグで活躍されました。WEリーグ発足2年目の2022年にサンフレッチェ広島レジーナへ移籍加入されましたが、移籍を決断された最大の要因は何だったのでしょうか。
「一番は、環境を変えてより高いレベルでチャレンジしてみたいという思いが強くなったことです。『自分がどこまでできるのか』。そこにチャレンジしたいと思いました」
―当時、移籍のオファーはいくつかあったそうですが、そのなかから広島を選ばれたのは何故ですか?
「理由はいくつかありますが、ひとつは、オファーをいただいたクラブのなかで広島だけ、知り合いや友達が全くいないチームだったことが挙げられます。厳しい環境に身を置いてチャレンジしたいという思いで移籍を決めたので、もし移籍先に仲の良い選手がいたら、自分のなかで甘さが出てしまうのではないかと感じていました。何もないところで挑戦するには、広島が一番良いのではないかと感じたことが、移籍を決めた理由のひとつです。あとは、上野(真実)さんや、近さん(近賀ゆかり選手)、福さん(福元美穂選手)といった、日本代表経験の豊富な選手たちが所属していたのも大きかったですね」
―『あえて知り合いのいないところへ』というのは、ご自身を追い込むための大きな決断のように感じます。昔から、厳しい環境に積極的にチャレンジされるタイプですか。
「そうですね。厳しい……か、どうかはわかりませんが、どちらかというと人から『えっ!』と驚かれる選択肢を選んでいるような気はします(笑)。地元を離れた高校を選んだ時も、周りには驚かれました。ですが、あの決断があったからこそ、いまの自分があるとも思っています」
◆ケガの試練を越えて迎える新シーズン。背番号はエースナンバー『10』に
―レジーナに移籍されて3年目のシーズンとなりました。移籍を経て、ご自身が一番変化したと感じるのはどんなところですか?
「いろいろな人とコミュニケーションを取るようになりました。私が加入した2022-23シーズンは同じタイミングで広島に移籍した選手がいなかったので、すでに出来上がっているチームに、自分だけが入るという環境でした。自分から積極的に声をかけないと入り込めないと思って、周りとどうコミュニケーションを取るかを考えた時期でもあります。長野に所属していた時は、同じチームに小さい頃からずっと一緒にプレーしていた幼馴染がいたり、同時期に加入した選手がいるなど、ある程度グループができていた部分もありました。そうした人間関係がない分、広島では、より広くさまざまな選手とコミュニケーションを取ることが多くなったと思います」
―環境の変化のほかに、そうした人間関係やコミュニケーションの変化もあったのですね。移籍2年目の昨シーズンは、2023年9月に左第5中足骨疲労骨折、2024年3月には左膝内側側副靭帯損傷など、度重なるケガの影響もあり離脱を余儀なくされました。一方で、チームはWEリーグカップ2023-24で優勝を果たし、クラブ初のタイトルを獲得。躍進するチームを、どのような気持ちでご覧になっていましたか?
「当初からチームのミーティングでも、『カップ戦のタイトルを獲りに行こう!』という話はしていました。私自身も最初の1、2試合は出場していましたし、パフォーマンスも良かったので、タイトル獲得に向けてチームと自分の気持ちが一つになっていたと思います。ただ、途中でケガをしてしまって……。一方でチームは1試合1試合とどんどん勝ち進んでいき、結果的にグループステージを4勝1分の無敗で通過しました。もちろん、チームとしてはうれしかったのですが、個人的には『やるせない』というか……。正直、『このタイミングなのか』という思いもありました」
―そのやるせない感情は、どうやって乗り越えたのですか?
「チームのみんなの姿やプレーを見ているうちに、私自身の気持ちが変化していったのだと思います。チームとしても全員が『タイトルを獲りたい』という強い思いをぶらさずに取り組んでいたので、自分だけ違う気持ちでいるよりも、みんなと気持ちを合わせて一緒に戦いたいと感じるようになりました」
―今シーズンは、瀧澤選手自身にとって復活のシーズンとなります。背番号も変更となりました。
「はい。長野でプレーしていた2021-22シーズン以来に、『10番』を背負うことになりました。昨シーズンは1回目のケガをしてから短いスパンで2回目のケガをしてしまいましたし、2回目のケガの方が気持ち的にも落ち込みました。今シーズンは1年を通して試合に出続け結果を残して、昨シーズン感じたいろいろな感情をすべてぶつける1年間にしたいと思っています」
瀧澤千聖選手の【My Turning Point】
☆ 地元・長野を離れ、知り合いのいない東京の強豪校へ進学を決めた高校時代
☆ 厳しい環境でチャレンジするため、まったく新しい環境を求めた広島移籍
瀧澤千聖(たきざわ ちせ)
Chise Takizawa
2001年2月14日、長野県出身。
ポジションはMF。十文字高校サッカー部を経て、AC長野パルセイロ・レディースに入団。WEリーグ初年度の2021-22シーズンは20試合に出場し、4得点をあげてリーグ優秀選手賞を受賞した。2022年6月、サンフレッチェ広島レジーナに移籍。移籍初年度はリーグ戦19試合に出場し3得点。2024-25シーズンからは背番号を『10』に変更し、副キャプテンに就任した。
◆チーム情報/サンフレッチェ広島レジーナ
2021年、サンフレッチェ広島に新設された女子プロサッカークラブ。同年発足したプロリーグ『WEリーグ』に加盟している。『レジーナ』とはイタリア語で『女王』を意味し、女王に輝くチームを目指したいという思いが込められている。2023-24WEリーグカップでチーム史上初となるタイトルを獲得。2024年3月以降は、ホームタウンである広島市に誕生したエディオンピースウィング広島をホームスタジアムとして活動している。