• TeamWISH
  • サッカー
  • 取材記事

My Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第9回】福山シティFC・藤井敦仁選手

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。

今回は、福山のサッカーチーム、福山シティFCの藤井敦仁(ふじい あつし)選手が登場。小学1年生でサッカーを始め、中・高・大学と着実にステップアップしてきた藤井選手。2021年、誕生して5年目の地元チーム・福山シティFCへ入団し、今季はキャプテンとしてチームを引っ張る。今の自分につながる、成長のきっかけとなったターニングポイントについて聞いた。

◆強豪チームで過ごした中学3年間が、サッカースタイルを決定づけた最大の転機

―藤井選手は、かなり小さい頃からサッカー少年だったと伺っています。

「父がもともとサッカーをしていたのもあって、その影響で幼稚園の頃からサッカーを見ていました。僕自身がプレーし始めたのは、小学校1年生からです。学校のチームで父がコーチをすることになり、一緒に入りました」

―ここまでの競技人生を振り返って、ターニングポイントになった出来事はありますか?

「そうですね。年代ごとにそれぞれありますが、中学生の時に地元の『FCバイエルン常石』(現在の『FCツネイシ』)というチームに加入できたのが、最初のターニングポイントかなと思います」

―『FCバイエルン常石』は2012年に活動をスタートした、福山のサッカークラブチームですね。当時はバイエルン・ミュンヘンと提携したことでも話題になりました。

「福山の中で一番強いチームということもあって、セレクションという、入団テストのようなものがあったんです。僕がセレクションを受けた時は100人くらいの小学生が参加して、合格者は20数名でした」

―非常に狭き門なのですね。『FCバイエルン常石』で過ごした3年間が、今のサッカースタイルに欠かせない土台になったとか。

「パスをつなぐサッカーを目指しているチームだったのですが、僕もそういうサッカーがやりたいと思っていたので、技術も戦術面も磨かれました。サッカーはディフェンダー(DF)、ミッドフィルダー(MF)、フォワード(FW)といったポジションがあるのですが、そのチームでは中学1・2年生の時は全てのポジションを練習するスタイルでした。例えば試合の前半はFWとしてプレーし、後半はDFとしてプレーする、という感じですね。そのおかげでどのポジションでもできるようになり、今はそれが自分の強みにもなっています。中学時代の経験が、現在にもかなり生きていると思います」

―高校はサッカーの強豪として知られる広島皆実高校に進まれましたが、当時は福山から通っていたそうですね。

「はい、新幹線で通っていました。朝は始発で行って朝練をして、授業のあとは午後から部活をして、家に帰るのはいつも夜9〜10時ぐらいでした。支えてくれた親に感謝です」

―皆実高校の3年間では、どんなことを学ばれましたか。

「県内はもちろん全国でもレベルが高いチームだったので、かなり自分のレベルアップにつながったと思います。1年生の頃からAチーム(サッカー部のトップチーム)に携わらせていただいていたので、メンタル面も鍛えられました。高校時代で一番の転機は、3年の時に出場した全国高校サッカー選手権で僕がPKを外して負けたことです。その時に『今までの自信は慢心だった』と気づかされて、よりサッカーに打ち込まないといけないなと思いました」

◆キャッチフレーズは『福山生まれのマエストロ』!アツい思いとプレーで地元を盛り上げる

―卒業後は関西学院大学へ進まれました。大学時代、印象に残っていることはありますか?

「関西学院大学はサッカーが強い大学ですし、プロへの一番の近道だと思って入ったのですが、サッカーだけでなく人間的な成長を重視する部活動でした。3年生になるタイミングで、学年から数名、学生コーチに専念する選手を選ばないといけないのですが、選ばれた選手はサッカーを引退することになります。2年生の終わりに、学年でミーティングを重ねながら『なぜサッカーをするのか』、『この先、社会でどう生きていくのか』という、単純ですが難しい疑問について話し合い、自分自身を見つめ直す機会がたくさんありました。サッカー選手としてもですが、人間としてもかなり成長できたと思います」

―福山シティFCには、どのような経緯で加入されたのでしょうか。

「大学卒業後はJリーグを目指していたのですが、なかなかうまくいかなかず……。そんな時に声をかけていただいたのが、加入のきっかけでした。僕が子どもの頃は、『福山からプロを目指す』とか『地域に貢献しよう』というチームがなかったので、新鮮であり不思議でもあり、今、そこに携われているのがすごくうれしいです。子どもの頃から関わってきた方々も多いので、そういう方たちの応援を近くで聞けるのもすごく励みになります」

―藤井選手のプレースタイルや魅力はどんなところですか?

「すごく目立つプレーをするタイプではありませんが、味方を活かすプレーや、ゲームを落ち着かせる、試合をコントロールするようなプレーは得意です。試合では、ぜひそんなところを見てもらえればと思います」

―さすが、『福山生まれのマエストロ』ですね。今年はチームのキャプテンも務められています。これまでと心境的な違いはありますか?

「あまり変わりはありませんが、キャプテンは人の先頭に立つ存在でチームの象徴でもあるので、今まで以上に自分の言動がチームの評価に直結するということは意識しています」

―最後に、チームと藤井選手ご自身の目標・抱負をお聞かせください。

「チームとしては、Jリーグ への昇格を目指しています。それだけでなく、サッカーを通じて地域の人たちの勇気や活力になるという点もチームとして取り組んでいるので、結果だけにこだわらず、地域の方々への貢献も大事にしていけたらなと思います。個人としても、チームがより上に行くために、目に見える結果はもちろん、目に見えないところでも貢献していきたいです。僕は地元出身選手として他の選手以上にこのチームにかける思いが強いと思うので、プレーでもそれ以外の行動でも、アツい思いを前面に出して、福山だけでなく備後地域を盛り上げていきたいです!」

藤井敦仁選手の【My Turning Point】
☆ 地元強豪チームで鍛えられた中学3年間で、今のプレースタイルの土台ができた
☆ ミーティングを重ね、サッカー選手としてだけでなく人としても成長できた大学時代
 自らのPK失敗で黒星を喫し、慢心に気付かされた高3の全国高校サッカー選手権


藤井敦仁(ふじい あつし)
 Atsushi Fujii

1998年12月11日、広島県福山市出身。
ポジションはMF。広島皆実高校時代は1年生からトップチームのメンバーに選ばれ、3年間、全国大会に出場した。卒業後は関西学院大学を経て、地元の福山シティFCへ入団。試合をコントロールするプレーから「福山生まれのマエストロ」の異名を取る。福山バラ祭りに際し、チーム内で最もバラが似合う選手として「バラ王子」に2度選出された経験も。

◆チーム情報/福山シティFC
福山市をホームタウンとし、備後エリアを拠点に活動するサッカーチーム。「スポーツを通じて活力ある備後福山の未来創生に尽力したい」。そのための手法として地域のオンリーワンの存在となり、新たなシンボルとして誇り輝くクラブを目指すことを目的に、2015年に創設された。『すべての人に「生きる勇気」と「明日への活力」を。』をクラブミッションに掲げ、Jリーグ参入、そして2030年のJ1優勝争いに向け日々挑戦を続ける。サッカーやスポーツを通じて地域課題を解決しながら、活力ある備後福山の未来創生に寄与することを目指している。