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My Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第4回】NTT西日本ブルーグランツ・広岡宙選手

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。

連載第4回目は、3連覇がかかった全日本実業団選手権が目前に控える、
NTT西日本ブルーグランツ
(公式Instagram■https://www.instagram.com/nttwest_softtennis/)の広岡宙(ひろおか そら)選手を訪ねた。3歳でソフトテニスを始め、小学1年生で大会初優勝を飾って以降、各カテゴリーで輝かしい成績を収めてきた広岡選手。インターハイ決勝での悔しさが残る経験、応援に行ったアジア大会で仲間の姿から受けた刺激など、競技人生の転機となった瞬間について聞いた。

◆日の丸を背負って戦う同級生の姿に発奮し、競技人生最大の転機となったアジア大会

ーまず最初に、広岡選手がソフトテニスを始めたきっかけから教えてください。

「両親がソフトテニスをやっていたので、その影響で始めました。ラケットを初めて握ったのは3歳くらいで、ジュニアのクラブチームに入って練習するようになったのが年長の時です」

ー小学1年生の時、初めて出場した大会でいきなり優勝されたと聞きました。

「小学生以下の大会がないので、小学1年になって初めて出たのが初級者大会だったのですが、そこで優勝して、勝つ喜びを味わいました」

ーその後の競技生活で、印象に残っている大会や出来事などありますか?

「小中高のタイミングで、それぞれ印象深い試合があります。小学校は、小6の全国大会での団体優勝です。県代表の監督が父で、全国大会の経験者が僕だけだったのでキャプテンをさせてもらったのですが、その大会で兵庫県のチームが初優勝できたんです。地元の優勝に貢献できたことはうれしかったですし、女子とアベック優勝でもあったので、印象に残っていますね。中学の時は、1年の時に全国中学校体育大会で団体優勝を経験しました。3年の時にはカテゴリー別日本代表として初めての国際大会にも出場しました。代表の大会ではインドに行ったのですが、国内線の乗り換えの時に飛行機の中にパスポートを忘れてしまって……(笑)。それも忘れられない出来事ですが、大会そのものでもダブルスで優勝することができました。初めての国際大会で優勝できたことはとてもうれしかったですし、忘れられない経験になりました」

―小学校、中学校と、大きな舞台を経験されてきたのですね。高校時代の印象的な出来事は何ですか?

「3年時に出場した、インターハイ個人戦決勝ですね。今、同じくNTT西日本に所属している1つ下の林佑太郎に負けてしまったのですが、今でも毎年インターハイが開催されるたびに、『あの時の1本が悔やまれるな』と思い出されます。逆に、『あの時もし優勝していたら今の自分はなかったのかも知れない』という思いもあります」

ーその悔しい経験を通して、広岡選手自身の中で何かが変わったのでしょうか。

「そうですね。試合の中では、『大事に行く』場面も必要ですが、一方で『ミスをする勇気』を持つことも必要なのだと思い知らされました。ミスをした後、その1本のミスが響いて積極的なプレーができなくなると結局負けにつながってしまうと思うので、ミスをした次の球で、もう一回思い切れるかというのを意識してプレーしています」

ー高校卒業と同時に、NTT西日本へ入社され、ソフトテニス部ブルーグランツの選手として活躍して来られました。

「高校2年の2月にアンダー17の日本代表合宿に参加した際、そこにNTT西日本の堀監督もいて、声をかけられました。実はその時、もう進学先の大学が決まっていたので一度はお断りしたんです。ただ、高校に帰ってから顧問の先生に『大学を卒業する時に、またチャンスがあるとは限らないぞ』と言われて……。そこからもう一度考えて、最終的にはNTT
西日本に入社することを決めました」

ー2023年には、杭州アジア大会に出場。見事、ソフトテニス日本代表の金メダル獲得に貢献されましたね。

「杭州アジア大会は、目標にしていた大事な大会でした。入社1年目の2018年にアジア大会の応援でインドネシアへ行ったのですが、僕と同い年の林田リコ(現在は韓国リーグに参戦中)が女子の日本代表として出場していました。同い年の選手が日の丸を背負って戦う姿に、『自分もここで戦いたい』と強く感じたことを覚えています。そこからは2026年の名古屋アジア大会を最大の目標として、それまでに日本代表としての経験を積みたいと思うようになりました。応援団として参加したあのアジア大会が、僕の人生の中でいちばんのターニングポイントかなと思っています。そこから2022年4月の代表予選会でシングルス優勝して自力で日本代表を勝ち取ることができた時は、すごくうれしかったですね」

◆どんなボールでも拾うのが強み。世界選手権では個人タイトルも狙いたい

ー広岡選手の考える、ソフトテニスの魅力や面白さを教えてください。

「ソフトテニスはすごく駆け引きが多いスポーツなので、そこに注目して見ると面白いと思います。硬式と比べてプレー時間が極端に短いのも特徴ですね。早ければ15分程度で試合が終わることもあります。使用するボールもゴムボールなので、コートの材質によって球足の速さが変わるのも特徴です。球足の速さが変われば、試合展開も変わります。ボール自体も新しいボールは粉がついているので滑るのですが、試合中に粉が取れてくると摩擦の影響を受けてボールスピードが変化していきます。同じ試合の中でも、最初と最後ではプレースタイルが違ってくるのもソフトテニスならではの特徴かも知れませんね」

ー1試合の中でプレースタイルまで変化するというのは、面白い特徴ですね!では、広岡選手自身の魅力はどんなところだと思われますか?

「声を結構出すのと、どんなボールでも拾うところがいちばんの魅力かなと思います。普通は拾えないような球も拾うので、相手が『決まったと思ったのに』という表情をすることもあります。そういうところも、ぜひ見てもらいたいと思います」

ーでは最後に、今後の抱負をお聞かせいただけますか。

「全日本実業団は、3連覇がかかっています。どのチームも打倒NTT西日本で向かってくると思うので、それを一回受け止めて跳ね返して、チーム一丸となって3連覇に向かっていきたいです。国体(2024年佐賀大会からは『国民スポーツ大会(国スポ)』に改称)も、4連覇がかかっているので大事な大会です。昨年はシングルスで使っていただいたのですが、結果は全敗で、他の選手が頑張ってくれて勝つことができました。今年は僕も勝利に貢献できるように、結果が出せるように頑張りたいと思います。チームとしてはSTリーグ(旧・ソフトテニス日本リーグ)で13連覇中なので、14連覇を狙っています。会社の人たちも応援ツアーで来てくれる大会で、そこで優勝する姿を見てもらうことが恩返しだと思うので、頑張りたいと思います」

ー9月に開幕する第17回・世界ソフトテニス選手権大会では代表メンバーにも選ばれ、個人の活躍も期待されます。

「世界選手権では、日本チームとして金メダルを取ることももちろん大事ですが、個人でも金メダルを狙いたいと思っています。また、難しい挑戦ではありますが、昨年優勝した天皇杯でも2連覇できるように頑張っていきたいです」

広岡宙選手の【My Turning Point】
☆ インターハイ決勝で敗れ、ミスした次の球を思い切れることの大切さを知った
☆ 国旗を背負って戦う同級生の姿に刺激を受け、同じ舞台を目指したインドネシアでのアジア大会


広岡宙(ひろおか そら)

Sora Hirooka

1999年6月2日、兵庫県出身。
右利き、前衛。3歳の時、持ち手を切って短くした親のラケットを手にしたところから競技人生がスタート。当人同士は記憶にないものの、小6の時に現チームメートの内本隆文選手に誘われたことがきっかけで、上宮中学・高校へ進学した。全小、全中、インターハイでそれぞれ優勝を経験し、U-14から各カテゴリー日本代表として国際大会も経験。NTT入社後は、日本リーグや全日本実業団選手権などで連覇を続けるチームの一員として活躍する傍ら、2022年はアジア大会予選会、2023年は天皇杯でも優勝し、アジア大会金メダルにも貢献するなど存在感を示している。2024年は9月の世界選手権への派遣が決まり、今後さらなる活躍が期待される。

◆チーム情報/NTT西日本ブルーグランツ
1957年にNTT西日本のシンボルスポーツチームとして創部。2010年からは日本最高峰の大会であるソフトテニス日本リーグ(昨年より名称変更してSTリーグ)で13連覇中。2023年アジア競技大会に4選手、2024年9月の世界選手権にも3選手を派遣するなど、国内屈指の強豪チームだ。お互いの考えを自由に言い合える風通しの良さが、強さを支える一因となっている。
公式Instagram■ https://www.instagram.com/nttwest_softtennis/