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Turning Point~広島アスリートが語る転機の物語~
【第3回】イズミメイプルレッズ・安藤かよこ選手

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビューする。

競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、あの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。

連載第2回目は、女子ハンドボールチーム・イズミメイプルレッズから安藤かよこ(あんどう かよこ)選手を迎える。日本リーグ2023年シーズンを終えたばかりの安藤選手に、ケガに苦しめられたという学生時代の大きな決断や、プロ入り後に多くを学んだ偉大な先輩との出会いなど、ハンドボール人生のターニングポイントについて話を聞いた。

◆ケガを繰り返し、トレードマークの笑顔が消えていた高校時代

ーこのインタビューでは、アスリートのみなさんに『ターニングポイント』となった出来事をお伺いしています。まずは、安藤選手がハンドボールを始めたきっかけを教えてください。

「5歳のとき、5つ上の兄が地元のクラブチームに入っていた影響もあって、いつの間にか自分も入部していた……というのが、私のハンドボール人生のスタートです」

ーお兄さんと一緒のチームでスタートされたのですね。その後は?

「中学・高校時代は、学校のチームに所属していました。私は愛知県出身なのですが、愛知は日本有数のハンドボールが盛んな地域で、ハンドボール部を有する学校が100校以上もあるんです」

ー学生時代、思い出に残っていることや転機になったと思うことはありますか?

「中学校の時に大きい膝のケガをしてしまったのですが、高校でも同じケガを何度も繰り返してしまって、あまりプレーができていなかった時期がありました。その時期を振り返ると、苦しい思い出の方が多いですね。特に高校のときは、ずっと笑えていなかったと思います」

ー安藤選手といえば笑顔がトレードマークという印象がありますが、意外ですね。

「高校時代の私を知る人には、大学生になってからお会いしたとき『めっちゃ明るくなったね!』と驚かれました(笑)。当時はチームメイトとコミュニケーションを取るのも辛く感じるほど追い込まれていたというか……きつかったんですよね。ハンドボールと向き合うことさえも、『ちょっと嫌だな』と感じていた時期でした」

ーそこからどうやって復活されたのですか?

「高校の先生に、一度しっかり休んで見直す時期をつくってもらって、そこから変わりました。大学に入る前に手術をしたのですが、そこからは大きいケガをすることもなくずっとプレーできていて今にもつながっているので、中学から高校にかけてケガで苦しんだ期間は、私にとっては大きな意味を持つ期間でもあったのかなと思っています。『自分の体を大事にしよう』と考えるようになりました」

ー選手にとっては、『休む』という選択は勇気が必要なことだと思います。

「そうですね。手術とリハビリを経て、完全に動けるようになるまで1年弱はかかりました。でもそれまでは、ケガをしても少し動けるようになったら無理をして……というのを繰り返していたので、ケガがクセになってしまうという悪循環で。1回見直す時期を挟んで、手術に踏み切れたのは大きかったと思います」

◆偉大な先輩との出会いを経て成長し、自覚と責任感が芽生えた3年間のプロ生活

ー悪循環を断ち切って復活し、大学卒業後、イズミメイプルレッズ(以下、イズミ)に入団されました。どのようなきっかけがあったのでしょうか?

「大学2年生のとき、国体で広島県チームとしてイズミと試合をする機会があったんです。そこから気になり始めて、試合を見るようになりました」

ー卒業後は実業団でプレーしたいという思いがあったのですか?

「最初はあったのですが、コロナの影響で大会が次々なくなってしまって、ハンドボールを続けるかどうか迷いが生まれました。ただ、大学4年生の1年間は試合もできませんでしたし、自分のなかでも不甲斐ない思いを抱えていたので、最後の最後に、『もう少しだけ、ハンドボールを続けてみよう』と思うようになりました」

ーその後、2020年にイズミに入団されましたが、当時はまだコロナ禍中でした。

「徐々に落ち着き始めて試合はできていましたが、当時のイズミでは堀川真奈さんが活躍されていたので、最初の1年はトレーニングを積む期間でした」

ー堀川選手というと、2016年からイズミで主力としてプレーされ、2022年に引退された選手ですね。

「はい。やはりレベルが違いましたし、勉強になることが多かったです。『堀川さんみたいなプレーがしたい、こういう先輩を目標にして頑張ろう』と常に思っていました」

ー堀川さんとの出会いによる影響も大きかったのですね。他にターニングポイントとなる出来事はありましたか?

「2年目からは出場機会が増え、3年目の今シーズンはスタートから起用してもらうことが増えました。1年目はたまに出て短時間プレーする程度で、ミスをしても先輩方が取り返してくれるという感じもありましたが、この2年はプレータイムも伸びていますし、その分、自分のプレーがちゃんとできないとチームの失点や負けにつながってしまうということを強く実感するようになりました。自覚と責任感が芽生えた2年間でしたね」

ー安藤選手が堀川さんに憧れたように、『安藤選手のようになりたい』と感じる選手も出てきそうですね。

「そうだとうれしいですね。入団当初から、小さな子どもたちに憧れてもらえる選手になりたいと思っていました。私もハンドボールを始めた頃は、大同特殊鋼フェニックス(日本ハンドボールリーグに所属する、男子社会人ハンドボールチーム。社会人チームのなかでは最多となる64回のタイトル獲得を誇る強豪)を中心にプロチームの試合を見て憧れていたので、自分もそんな存在になれたらうれしいです」

ー2023年度シーズンが終わり、8月の社会人選手権を経て9月からは新シーズンが開幕します。

「シーズン後半はディフェンスでの起用が多く、オフェンスでの出場があまりなかったのですが、選手の入れ替わりもありましたし、これからは今まで以上に攻撃面でも貢献したいと思っています。あまりプレッシャーに思わないようにしようとは思っていますが、私自身、『勝ちたい』という気持ちはとても強いので、攻守にわたってしっかりチームを支え、貢献できるように頑張りたいです。オフの間にもっと自分のプレーに磨きをかけて、試合に向かいたいと思います」

安藤かよこ選手の【My Turning Point】
☆膝の手術とリハビリのため1年弱休んでハンドボールとの向き合い方を見直した時期
☆同じポジションの堀川真奈さんと出会い、間近で学んだプロ1年目の経験
☆2年目から出場機会が増え、チームを支える自覚と責任感が芽生えたこと


安藤かよこ(あんどう かよこ)

Kayoko Ando

1998年4月11日、愛知県出身。ポジションはポスト(PV)。上野中学時代の2013年にはJOCジュニアオリンピックカップで愛知県選抜の優勝に貢献し、オリンピック有望選手に選ばれた。高校時代は膝の怪我を繰り返し、手術を経てポジションをバックプレイヤーからポストに変更。怪我を克服し、東海大学2年時の2018年は秋季リーグで優秀新人賞を獲得した。在学中の2020年にイズミメイプルレッズ入団を決め、2021年には日本代表としてアジア選手権にも出場。9月から始まる自身4年目となる2024年度シーズンでは、攻守の要としてチームに貢献すべく、さらなる成長と躍進を期す。

◆チーム情報/イズミメイプルレッズ
1994年、イズミ女子ハンドボール部として創部。創部3年目の1996年にリーグ初優勝を果たすと、1998年からは7連覇を達成。実業団、学生らが競う全日本総合ハンドボール選手権大会(現:日本ハンドボール選手権大会)では1997年に初優勝、1999年からは6連覇を果たした。2004年度、女子では1978年ぶり3チーム目となる四冠 (日本リーグ、実業団選手権(現・社会人選手権)、全日本総合選手権(現・日本選手権)、国体)を達成。以来、栄冠からは遠ざかっているが、「百万一心」」をスローガンに、再び頂点に立つことを目指して活動している。