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My Turning Point
~広島アスリートが語る転機の物語~
【第2回】広島エフ・ドゥ 石川彰人選手

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビュー。

競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、誰かの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。 連載第2回目は、日本フットサルリーグ(Fリーグ)加盟のフットサルチーム、広島エフ・ドゥから石川彰人(いしかわ あきと)選手が登場。大きなケガを克服し、生まれ育った東京を離れ広島へ移籍して4年目となる石川選手に、一番のターニングポイントだったというケガの話をはじめ、波乱万丈のフットサル人生について話を聞いた。

◆最悪のタイミングで起きた絶望的なケガを乗り越えた、人生最大のターニングポイント

ーフットサルを始めたのはいつ頃ですか?

「小学校1年生の頃からサッカーを始めて、高校3年生のとき引退と同時にフットサルに転向しました。サッカーの時からキーパーで、フットサルも最初はゴレイロ、つまりキーパーでした」

ー今はフィールドプレーヤーですが、どういった理由で転向されたのでしょうか。

「高校卒業後は浪人しつつフットサルをしていたのですが、20歳の時、ちゃんと働こうと思って一度フットサルを辞めたんです。ただ、辞めたは良いけれど自分のやりたいことがわからなくて、フットサル場でアルバイトを始めました。その時のお客さんに誘われて、またチームに入ってプレーするようになったんです。当時のチームにはゴレイロがいたので、『フィールドプレーヤーをやってよ』と言われて……それが転向したきっかけですね」

ーゴレイロとフィールドプレーヤーとでは、動きも役割もまったく違うのではないでしょうか。

「そうですね。だからこそ『もっと上手くなりたい』と思って、上のカテゴリーのチームに移籍して、揉まれました。ただやはり、滑らかなボールタッチや華麗なドリブルはどうしてもできないんです。そうしたプレーは幼い頃からフィールドプレーヤーとして練習を積んで来たからこそできるものなのかもしれませんね。僕自身は、苦手な部分を他のスキルで補わなければいけないと感じています」

ーポジション変更後、大きなケガを経験されたと聞きました。

「はい。関東一部リーグの古豪・FIREFOX八王子にいたときです。入団3年目の2020年に副キャプテンに就任したのですが、シーズン開幕前の練習試合で初めての大ケガをしてしまいました。前十字靭帯と半月板と、内側側副靱帯というフルコースで(苦笑)」

ー一体、何が起こったのでしょうか。

「ごく普通の切り返しの瞬間でした。自分では『いける!』と思ったのですが、体が気持ちに追いついていなくて……。ケガをした瞬間、『絶対にダメなやつだ』とわかる痛みでした。副キャプテンになれて、シーズン前にトレーニングも積んで、『やってやるぞ』と意気込んでいるときだったので、まさに絶望でした」

ー復帰までには時間がかかったのでしょうか。

「そのシーズンは、1秒も出場することができませんでした。もちろん、試合に出ることができなくても、ビデオを撮ったり声を出したりはしていましたが……正直なところ、気持ちの面ではとても難しい期間でした。『もうフットサルは辞めよう』と本当に思いました」

ーそれでも辞めず、現在もフットサル選手としてプレーされています。

「一番下のリーグから関東一部のチームまでステップアップしてきたのを知っている友人たちから『このまま辞めるのはもったいない』『頑張れ』という応援をたくさんもらって、自分自身も、リハビリを重ねてできることが増えていくとともに前向きになり、このまま辞めるのはもったいないな、高校卒業からずっと続けてきたのに、トップリーグでプレーしないままケガで引退というのは嫌だな……と思うようになりました」

◆ボールに対する執着心と、ワンタッチでゴールを決める嗅覚に注目してほしい

ー広島へ来られたのは、何かきっかけがあったのですか?

「2020年の年末、復帰後の来シーズンはFIREFOXでもう1年やろうか、どうせなら思い切って新しい挑戦をしてみようかと考え始めました。現チームメイトの21番・喜多村優選手とは当時も一緒のチームだったんですが、2021年から広島エフ・ドゥのサテライトに選手兼コーチとして携わると聞いて、エフ・ドゥはチームとしても強いですし、SNSの活動なども頑張っているのを知っていたので、僕も挑戦することにしました」

ー移籍直後は、サテライトチームからのスタートでしたね。

「ピヴォという一番前のポジションをやることが多かったので、とにかく数字を出してアピールしないとダメだと思って、1年目はとにかく点を取ることにこだわりました。それが認められて、2022年からトップチームに昇格できました」

ー昇格後の今も、正社員とプロ選手の二足のわらじを履いていると聞きました。

「そうですね。フットサルではそれが一般的です。僕は、主にスポーツ施設や学校施設のグランド整備や防球ネット等の改修、人工芝の整備などをしている土木工事の会社で、営業を担当しています。お客さんが試合を見に来てくれることもありますが、仕事中とまったく違う、人格が変わるとよく言われます(笑)」

ー試合での石川選手、ここを見てほしい!というポイントは?

「自分自身では決して上手い選手ではないと思っているのですが、ボールに対しての執着心、『しっかり体を張る』という部分では誰にも負けません。あとはゴール前での嗅覚というか……ワンタッチでゴールを決めることが多いので、そのあたりの動きを見てもらえると面白いのではないかと思います」

ー6月から2024シーズンが開幕しました。今シーズンへの意気込みをお願いします。

「今季は三次で2回、廿日市で2回、安佐北区で5回と、計9回のホーム戦があります。広島エフ・ドゥは年齢問わずコミュニケーションがよく取れていて、チームの方向性がしっかりと定まっているので、今シーズンもぜひ期待してほしいと思います。フットサルはサッカーとバスケを混ぜたような競技で、展開の速さが魅力。戦術も豊富でサインプレーも多いので、そんなところも注目してもらうと楽しいと思います。たくさんの方に試合を見にきてもらって、応援していただけたらうれしいです」

石川彰人選手の【My Turning Point】
☆ 膝の大怪我を経験し一度は絶望しながらトップリーグに挑戦
☆ 故郷から遠く離れた広島に移籍して、再
起を果たす


石川彰人(いしかわ・あきと)

Akito Ishikawa

1993年9月12日、東京都出身。
ポジションはFP(フィールドプレーヤー)。都立保谷高校卒業後、ゴレイロ(キーパー)として府中アスレティックユースでフットサル競技をスタートし、徐々にステップアップしながら3チームを経験した。フィールドプレーヤーに転向後は古巣であるFUTUROを経て古豪・FIREFOX八王子へ移籍したが、3年目に人生初の大ケガを経験し、リハビリ終了後はFリーグ加盟チームである広島エフ・ドゥへ移籍。下部のサテライトチームで結果を出してアピールし、わずか1年でトップチームへ昇格して、3年目のシーズンを迎えている。

◆チーム情報/広島エフ・ドゥ
1999年に創立した、広島をホームタウンとするフットサルクラブ。発足直後から中国フットサルリーグで7度の優勝を飾るなど、中国地方屈指の強豪チームとなる。現在は日本フットサルリーグ(Fリーグ)ディビジョン2、通称F2リーグにてF1昇格を目指して奮闘中。主に東広島市内で練習を行うほか、三次市、廿日市市、広島市安佐北区でホーム戦を開催するなど広域的に活動している。