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My Turning Point
~広島アスリートが語る転機の物語~
【第1回】広島東洋カープ・大瀬良大地選手
新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。
本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとっての『ターニングポイント』とは」をインタビューする。
競技や人との出会い、試合やできごと、忘れられない「あの日」、あの言葉……競技人生に影響を与えた転機をめぐる物語から、選手の新たな一面にフォーカスしていく。
連載第1回目は、5月8日に1000奪三振の大記録を達成した、広島東洋カープの大瀬良大地(おおせら だいち)選手が登場。2013年ドラフト1位で九州共立大学からカープへ入団し、今年で11年目を迎える大瀬良選手。小学生時代に外野手から投手へ転向したきっかけや、プロ入り後に黒田博樹球団アドバイザーと出会ったことで迎えた転機など、野球人生で体験したターニングポイントについて聞いた。
◆内野返球の強さがきっかけでピッチャー転向。プロ入り後は黒田氏との出会いが転機に
ーこのインタビューは、さまざまな競技のアスリートに『ターニングポイント』にまつわるエピソードをお伺いする連載です。まずは、野球を始めたきっかけを教えてください。
「父がテレビでプロ野球中継を見ていることが多かったので、小さい頃から野球になじみはありました。近所のお兄ちゃんたちと遊びで一緒にやったりしていて、野球をやりたいなと思ったのが最初で、少年野球チームに入ったのは、小学校4年生のときです」
ー最初からピッチャーだったのですか?
「いえ、当時は打つ方が好きで、外野手から始まりました」
ーピッチャーに転向することになったターニングポイントとは?
「初めて試合に出させてもらった時に、外野からボールを返球する強さが他の子たちよりも強かったみたいで、当時の監督が「ピッチャーもやってみるかい?」という話をしてくれました。小学校5年生ぐらいだったと思うのですが、そこから少しずつ練習をするようになった、6年生ぐらいからピッチャーの方をメインにするようになりました」
ープロ野球選手を目指そうと思ったのはいつ頃ですか?
「当時は長崎県に住んでいたので、地上波の野球中継は巨人戦だけだったんです。松井秀喜さんや上原浩治さんといった一流選手が、投げて抑えて、ホームランを打って………というのを見てかっこいいなと憧れていました。僕もそういう人になりたいなと思ったのは、小学校に入ったくらいの頃です。少年野球チームに入る前から、プロ野球選手になりたいなぁとぼんやり思いながら野球中継を見ていました」
ーその後、高校野球、大学野球で注目される選手となり、ドラフトを経てプロ入りされたわけですが、デビュー後に何か転機はありましたか?
「黒田(博樹)さんが2015年に日本に帰ってこられて、いろんな話をさせてもらったことが大きかったですね。もともと、黒田さんの投手としての生き様や野球観がカッコいいなと思って尊敬の目で見ていたんですが、『エースと言われる人は、こういう風に思いを持ってマウンドに上がっているんだな』と感じることがたくさんあったので、僕もそこを目指してやっていこうと決めました。それが2017年のオフシーズンで、2018年、最多勝を取ることができました」
ー具体的にどのようなお話しをされたのでしょうか?
「オフシーズンに食事に連れて行ってもらって『野球に取り組む姿勢は素晴らしいんだから、そこに成績がついてくるように大きく変えないといけない時期に来ていると思うよ』という趣旨の話をしていただきました。自分でも『このままじゃいけないな』と思っていた時期だったのですが、どういう風に変えればいいのかわからなかったんです。でも、黒田さんの姿を見て学ばせてもらっていたので、そこを目指してやっていけば間違いないと感じました。『厳しい道かもしれないけれど、そうでもしないとチームを背負って立つことはできない』と思ったので、覚悟を決めて話を聞きました」
◆「大瀬良選手みたいになれるように」……誰かのターニングポイントとなることへの意欲
ー何かを変えるということは、勇気が必要であったのではないでしょうか。
「当時、先発としての成績が満足できるものではありませんでしたし、若い選手もどんどん出てくるので、『何か変えて成長していかないとこのまま終わってしまう』という危機感がありました。現状維持では衰退してしまう世界ですからね。そんな中、黒田さんから言葉をもらって、技術面もそうですし、野球への取り組む意識も含めて、変えようとはっきり思えました。僕にとって、すごく大きな転換期だったと思います」
ー出会いは本当に大事ですね。大瀬良選手の姿や言葉が誰かのターニングポイントになることもあると思いますが、意識することはありますか?
「ファンの方からいただくお手紙に『大瀬良選手みたいになれるように頑張ります』とか『芯の強い人になりたいと思いました』といった言葉をもらうことがあるんです。『大瀬良選手に会えるように広島で就職します』とか『生まれた子供の名前を大地にしました』とか。僕が一生懸命やっていることを感じてくれる人がたくさんいるのかなと思うと、頑張りがいがあるというか、1年でも長くこの世界にいたいなと思いますね」
ー2月には広島の他競技の選手たちとテレビ番組で共演されました。Team WISHも、様々な競技のチームとタッグを組んで広島スポーツを盛り上げる取り組みです。
「有意義な取り組みだと思います。各競技団体がより深くつながって一緒に何かできれば、知らなかった競技にも興味を持って、見てみようと思う方も増えてくれると思います。もともと広島はスポーツが盛んな地域ですが、スポーツからいろんなところに派生していけるのではないでしょうか。スポーツの輪がどんどん広がっていけばいいですよね」
ー大瀬良選手ご自身は、広島のスポーツ界でどういった存在でありたいですか?
「僕もカープに入って11年目で、それなりに名前を知ってくれている方も増えてきたと思います。野球だけではなくて、たとえば2月の番組でつながりができた他競技の方々だとか、いろんなものを広げていけるような活動ができたらいいなと思います。僕にやれることがあれば、積極的に参加させていただきたいという意欲はあります」
大瀬良大地選手の【My Turning Point】
☆ 肩の強さを見込まれて小学校5年生で投手に転向
☆ エースを目指す上で、黒田博樹氏の言葉で「変わろう」と決意
大瀬良大地
Daichi Ohsera
1991年6月17日、長崎県出身。
長崎日大高校から九州共立大学を経て2013年ドラフト1位で広島東洋カープへ入団。2014年は開幕から先発投手陣の一角として活躍し、新人王を獲得した。勝ち星に恵まれない苦しい時期を経て2017年に3年ぶりの2桁勝利を上げると、翌2018年には15勝7敗、勝率.682で最多勝利および最高勝率のタイトルを獲得。2019年からは5年連続で開幕投手を務めた。2024年5月には1000奪三振を達成し、不動のエースとしてチームを支える。
◆チーム情報/広島東洋カープ
広島を本拠地とするプロ野球チーム。1950年に創設され、初代監督には石本秀一が就任した。球団草創期の度重なる存続の危機も、『樽募金』など市民の熱意によって乗り越え、1975年には初のリーグ優勝を果たした。1991年までにリーグ優勝6回、日本一3回を達成。2016・2017・2018年には、球団初のリーグ3連覇を成し遂げた。2023年シーズンより、新井貴浩監督が指揮を執る