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My Favorite Numbers
〜数字が紐解く広島アスリートの素顔 〜
【第20回】サンフレッチェ広島・森﨑浩司アンバサダー

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとって印象深い『数字』」をインタビュー。
競技人生における自慢の成績、好きな数字、ラッキーナンバー……数字にまつわる物語から、選手の新たな一面にフォーカスする。

サンフレッチェ広島・森﨑浩司アンバサダー

連載第20回は、サンフレッチェ広島OBであり、現在はアンバサダーとして活動する森﨑浩司(もりさき こうじ)さんが登場。広島に生まれ、サンフレッチェ広島ユースからトップ昇格を果たした森﨑さんは、双子の兄・和幸さんと共に広島で活躍し、J1で3度の優勝を経験した。『森﨑ツインズ』として今もサンフレッチェファン・サポーターに愛される森﨑浩司さんの心に残る数字とは。ついに開幕した新スタジアム・エディオンピースウイング広島への期待と共に語ってもらった。

◆広島のレジェンドから受け継いだ背番号『7』。重みを感じながらプレーした現役時代

ーサンフレッチェ広島で17年間プレーし、現在はアンバサダーとして活躍されている森﨑浩司さんですが、サッカーを始めてからこれまでで、印象に残っている数字や記録はありますか?

「まずはやはり、現役時代の背番号『7』ですね。もともと『7』に縁があったわけではないのですが、広島の『7』といえば森保さん( 森保 一。現・日本代表監督)というイメージが強かったので、その番号を受け継がせてもらえるというのはすごく光栄なことだと感じていました。僕はプロ1年目に22を背負い、2年目に15に変更になり、『7』を背負うようになったのは3年目からです。元々は、この番号が好きだな、といったことも特になかったんです。たとえば背番号11ならカズさん(三浦知良)であったり、漠然と数字に対するイメージは持っていましたが、『この番号を付けたい』という思いもありませんでした。ただ、サッカー選手として、一桁の番号を背負うということに対して特別な思いは持っていましたから、カズ(森﨑和幸クラブ・リレーション・マネージャー)やコマ(駒野友一コーチ)がプロ2年目で一桁背番号を背負うようになったときには、少し悔しかったという思い出がありますね」

ーそして3年目で一桁の背番号『7』を背負うことになったわけですが、『7』を受け継ぐと知ったときの率直な感想は?

「やはり最初は『重いな』と思いました。もちろん、森保さんから受け継げるというのは光栄なことだったのですが、サンフレッチェのレジェンドですし、そもそも『7』はラッキーセブンじゃないですか。余計に『重い』というか、身の引き締まる思いでしたね」

ー森﨑さんは、2002年から引退する2016年まで『7』を背負ってプレーされましたが、普段生活するときでも、無意識のうちに『7』を選んでしまうということはありますか?

「ありましたね。たとえば大浴場に行ったりしたときに『7』のロッカーが空いていると、そこを使ったり。あとは駐車場でも、『7』に車が停まっているのかな、というのは気になったりしますね。昨シーズンまではアンバサダーとして『77』の背番号をもらっていました。2024シーズンからは、さらに一桁増えて『777』が僕の背番号になっています」

◆当時J2史上2チーム目となる勝ち点『100』を達成!インパクトを残した2008年

ー背番号の他に、忘れられない数字はありますか?

「自分自身にまつわる数字ではないのですが、チームに関わる数字で忘れられないのは、2008年の勝ち点『100』です。この年はチームが2度目のJ2降格してしまった年で、J1昇格はもちろん、シーズン終盤では勝ち点『100』を目指して戦っていました。最終戦の時点で勝ち点が97、得点は96でした。試合前から、勝ち点も得点も100を目指そうという話をしていて、実際に勝ち点は『100』を達成することができたんです。得点はその試合で99まで伸ばしたのですが、あと一歩及びませんでした。そういう意味では、『99』も印象的な数字と言えるかもしれません」

ーでは、サッカーにまつわるユニークな数字や記録はありますか?

「今回、このインタビューを受けるにあたり、事前にいろいろ調べてみたんです。特徴的だなと感じたのは、PK成功率でした。なかでもサッカーW杯に限っていうと、PK成功率は80%近いと言われているそうです。そのくらい、キッカーが絶対的に有利なんです。PKの距離はゴールから11メートルと決まっているのですが、キッカーとGKのどちらにプレッシャーがかかるかというと、これはキッカーです。逆にGKは不利な分、一本でも止めればヒーローになれます。80%の成功率ということは、言い換えれば『決められて当たり前』とも言えますからね」

ー80%決まる側のキッカーのほうが、プレッシャーが大きいというのは面白いですね。

「これが、例えばゴールから15メートル離れたら成功率はどのくらいになるのか、とか、いろいろ想像するのも面白いですよね。僕自身もPKを蹴る機会は何度もありましたが、何度やってもプレッシャーでした。フリーキック、コーナーキックなどいろいろありますが、PKはやはり独特です。成功して当たり前、というところが本当に大きいです。あとは、どちら側のゴールを使うかによってもかなり左右される気がしていました。ゴール裏にどちらのサポーターがいるかによって、蹴る選手の気持ちも変わってくるものです。僕たちからすれば、当然、サンフレッチェのサポーターがいる側のゴールの方が心強いですよね」

◆『まちなかスタジアム』を中心に、広島スポーツと街全体が盛り上がってほしい。

ー2024シーズンはいよいよエディオンピースウイング広島が開業し、ホームが街の中心部に移ります。クラブのアンバサダーという立場から、森﨑さんは新スタジアムにどのような期待をされていますか?

「僕自身、選手の頃からさまざまな形で新スタジアム建設に対してはアクションを起こしてきました。正直、『ここまで長かった』という思いもあります。街なかにスタジアムができることで、どれだけ広島県全体、スポーツ全体を盛り上げていけるかは楽しみですよね。現役時代、他のチームのサッカー専用スタジアムに行くと、圧倒されることもありました。専用スタジアムが広島にも欲しいという思いはずっとあったので、エディオンピースウイング広島には期待しかありません。サッカーをあまり見たことのない人も、サンフレッチェに興味がないという人も、足を運びたくなる場所なのではないかと思っています。そこからどうやってファン拡大につなげていくかという期待もありますし、サッカー以外のスポーツや、経済の分野にも波及していけば良いなと思っています」

ー森﨑浩司さんの心に残る数字は、現役時代の背番号『7』、2008年にチームが達成した勝ち点『100』、そして得点『99』、サッカーにまつわる数字としては、W杯のPK成功率『80』%ということですね。本日は、興味深いお話をありがとうございました。

「こちらこそ、ありがとうございました」

森﨑浩司アンバサダーの【My Favorite Numbers】
『7』『100』『99』『80』


森﨑浩司

Koji Morisaki

1981年5月9日、広島県出身。
2000年、双子の兄・和幸と共に、サンフレッチェユースからトップチームに加入し攻撃的MFとして活躍。チームの中心選手として、サンフレッチェ広島3度のJ1優勝を支えた。2016年に引退を表明。ラストゲームとなった10月29日のホーム最終戦(福岡)ではスタメン出場し、1得点を挙げ優秀の美を飾った。現在はクラブのアンバサダー、サッカー解説者として多方面で活動している。

◆チーム情報/サンフレッチェ広島
広島を本拠地するプロサッカークラブ。1992年にJリーグに加盟したオリジナル10の1つ。クラブ名の「サンフレッチェ」は日本語の『三』とイタリア語の「フレッチェ(矢)」を合わせた造語で、広島ゆかりの戦国武将・毛利元就の「三本の矢」の故事にちなんでいる。また、ユースチームでの育成にも力を入れており、野津田岳人、茶島雄介、川村拓夢ら県内出身選手も多く所属。国内外に多数のJリーガーを輩出している。2024シーズンより、ホームスタジアムが広島市中心部に完成。2024年2月に行われた『エディオンピースウイング広島』オープニングマッチは、2万人を超えるファン・サポーターが訪れ満員御礼となった。