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My Favorite Numbers
〜数字が紐解く広島アスリートの素顔 〜
【第19回】A-pfeile広島・林健太選手

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとって印象深い『数字』」をインタビュー。
競技人生における自慢の成績、好きな数字、ラッキーナンバー……数字にまつわる物語から、選手の新たな一面にフォーカスする。

A-pfeile広島 ・林健太選手

連載第19回は、A-pfeile広島(アフィーレひろしま)から、ブラインドサッカー・林健太(はやし けんた)選手が登場。ゴールキーパー以外は全盲の選手で構成され、音の出るボールを用いてプレーするブラインドサッカー。パラリンピックの種目にも採用(パラリンピックでは『ブラインドフットボール』と呼称)されており、日本での選手人口は約400人とも言われている。2003年には、国内初の全国大会も開催された。15歳の林選手がブラインドサッカーを始めたきっかけ、そして、これからの目標を語ってくれた。

◆出会いは小学1年生。足でボールを触ること自体、初めての経験だった。

―はじめに、林選手とブラインドサッカーの出会いを教えてください。

小学1年生の頃の林選手(右側)

「ブラインドサッカーを始めたのは、小学1年生の頃です。僕はもともと体を動かすことが大好きだったのですが、生まれつき目が見えないので、周りの人がどこにいるのか、障害物がどこにあるのかがわからなくて、ぶつかってしまう危険がありました。人の多い昼間はあまり遊びに行くことができなくて、夜、誰もいない時間に家族と一緒に公園に行くことが多かったんです。そんな時に母が見つけてくれたのが、立ち上げたばかりだった、A-pfeile広島のブラインドサッカーチームでした。それまでボールを使った競技というと手を使うものばかりだったので、足でボールを触ること自体が初めての体験でした。サッカーは足を使ってプレーするものだということも、その時に知ったんです。初めてプレーした時からとにかく楽しくて、夢中になりました」

小学1年生の頃の林選手(中央)

―林選手は15歳(取材時点)で、この4月から高校生です。学生である一方で、チームの試合や合宿などもあるとお伺いしています。サッカーと勉強の両立で、苦労をすることもあるのではないでしょうか。

「サッカーという競技が好きだからこそ、勉強とも両立できているのだと思います。サッカーが生活の中心になっているという感じですね。チームの全体練習は週に1回なのですが、持久系やシュート、トラップなど実践に即したトレーニングを組み合わせて行います。練習時間が2時間しかないので、どれだけ詰まった練習ができるかが大切なのかなと思っています」

◆今でも忘れられないのは、国内トップレベルの強豪チームを『0』に抑えた一戦。

―このインタビューでは、みなさんの記憶に残る『数字』についてエピソードを伺っています。林選手が『数字』と言われて思い浮かぶものは何ですか?

「最初に思い浮かんだのは、『3』ですね」

―その理由は?

「サッカーは、1試合で3点を決めるとハットトリックになりますよね。そういう意味でも、『3』という数字は大きいなと思っています」

―林選手ご自身は、ハットトリックを決めた経験はありますか?

「2023年11月に行われた日本選手権予選ラウンドで、『6』点を決めました」

―それは、1試合ですか?

「はい。運が良かったところもありますが、この1試合『6』得点は自己最多得点でもあるので、『6』も自分にとっては忘れられない数字の一つかも知れませんね。その試合は7-0で快勝しましたが、ブラインドサッカーはフットサルと近いルールでプレーする競技で、大量得点が生まれるような競技ではありません。1、2点が大切になってくる競技なので、7点を挙げた試合はすごくレアな試合だったと思います。逆に、相手を『0』点で抑えた試合も印象に残っています」

―いわゆるクリーンシートゲームですね。どういった内容の試合だったのでしょうか。

「2022年の日本選手権で、東京のfree bird mejirodai(以下、フリーバード)というチームと対戦した試合です。フリーバードは国内でも1位、2位を争っている強豪で、得点力も高く、多くのチームが苦しんできた相手でもあります。そのチームを、僕たちは『0』に抑えることができました。あの試合は、チームにとっても大きな意味を持つ一戦になったのではないかと思います」

―A-pfeile広島の目指すサッカーは、戦術としては、守備を重視しているのですか?

「そうですね。どちらかというと、前からどんどん攻めていくというよりも、失点しないためにどうするかと考えながらゲームを組み立てていくことが多いと思います。試合の前半は守備を固めて相手の出方を見て、後半から自分たちも攻めていく……という感じでしょうか。守備意識の高いチームかもしれないですね」

―ブラインドサッカーは、特殊なボールを使ってプレーすると伺いました。具体的に、どのような特徴があるのでしょうか。

「ボールは中に金属が入っていて、蹴るとカラカラ音が鳴るようになっているものを使っています。ルールでは、ディフェンスに行く選手は『ボイ』と声を出さなければいけないと定められています。ブラインドサッカーでは、相手選手もこちらが見えていないので、黙っていると接触する危険があります。そこで、自分の位置を知らせるためにも『ボイ』(スペイン語で『行く』という意味)と声を出すことがルールになっています。もし黙っていたら、ファウルを取られてしまいます」

―最後に、林選手がサッカー選手として目指す数字、今後の目標を教えてください。

「僕自身はまだ日本代表に選ばれたことがないので、2028年にロサンゼルスで開催されるパラリンピックの代表選手に選ばれることが、ひとつの目標です。そして、実際にパラリンピックの舞台でコートに立って点を決めたいと思っています。A-pfeile広島でも日本代表でも、どこのチームに行っても、チームを引っ張っていける、周りの選手を高めていけるような選手になっていければと思っています。自分の持っているスキルを共有したり、他の試合で気がついたことがあればみんなで会話をして、今後のチームの動き方を考えていくなど、チーム全体のレベルを上げるために、僕自身ができることをやっていきたいです」

―チームで、そして代表で活躍する林選手の姿に期待しています。

「ありがとうございます。がんばります」

―林選手にとって思い入れのある数字は、ハットトリックの『3』、1試合自己最多得点の『6』、そして、強豪チームを相手に無失点に抑えた試合の『0』の3つということですね。

「そうですね。僕たちA-pfeile広島は、楽しくサッカーをしながら少しずつ上を目指して、最終的には日本一になることを目標にしています。プレーの面だけでなく、礼儀などもしっかりと指導をしていただけていて、そうした土台があるからこそ、強くなれていっているのだと思います。スポーツ協会を通じて選手の家族と栄養士の先生で話をする機会もあり、食事の面でもとてもサポートしてもらっています。広島で開催される大会もあるので、ぜひ観戦して、ブラインドサッカーのおもしろさを体感してもらいたいです」

―本日は、ありがとうございました。

「ありがとうございました」

林健太選手の【My Favorite Numbers】
『3』『6』『0』


林健太

Kenta Hayashi

2009年2月4日生、広島県出身。
小学生時代にブラインドサッカーと出会い、A-pfeile 広島BFCに参加。2020年には、当時小学5年生にして最年少でユーストレセン合宿に招集されるなど、高いポテンシャルを持つチームの中心選手だ。相手をかわす巧みなドリブルが持ち味のFP(フィールドプレーヤー)。4年後のロサンゼルスパラリンピック出場を目指し、日々トレーニングを積み重ねている。

◆A-pfeile広島
2013年に、中四国初のアンプティサッカーチームを設立。現在は四肢の切断、麻痺を持つ選手が杖を使用して行う『アンプティサッカー』、視覚に障がいのある選手が目隠しをして行う『ブラインドサッカー』、電子車椅子を用いた『電子車椅子サッカー』、歩くことをルールとしてプレーする『ウォーキングフットボール』、フレーム(歩行器)を用いてプレーする『フレームフットボール』、精神障がいを持つ選手によって構成される『ソーシャルフットボール』の6種目のチームを持つ、日本初のインクルーシブフットボールクラブとして活動している。