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My Favorite Numbers
〜数字が紐解く広島アスリートの素顔 〜
【第15回】どんぐり北広島ソフトテニスクラブ・高橋乃綾選手
新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。
本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとって印象深い『数字』」をインタビュー。
競技人生における自慢の成績、好きな数字、ラッキーナンバー……数字にまつわる物語から、選手の新たな一面にフォーカスする。
連載第15回は、北広島町を本拠地とする地域密着型ソフトテニスクラブ『どんぐり北広島ソフトテニスクラブ』から、高橋乃綾選手が登場。。2023年10月に開催されたアジア競技大会で3つのメダルを獲得した高橋選手が、ソフトテニスとの意外な出会いを振り返る。チームを支える地域の思い、そして、多くの国際大会で結果を残してきた高橋選手の心に残る数字とは。
◆日本人初の金メダル獲得!世界トップレベルプレーヤー誕生のきっかけは『太鼓の達人』?
―まずは、2022アジア競技大会(2023年10月3日~7日、中国/杭州)でのメダル獲得、おめでとうございます。金メダルを2つ、銀メダルを1つの活躍でした。広島駅での地域のみなさまのお出迎えも、話題になりました。
「ありがとうございます。どんぐり北広島ソフトテニスクラブ(以下、どん北)が本拠地としている北広島町から、50人くらいのみなさんが来てくださいました。通りすがりの方もお祝いしてくださって、全部で100名ほどの方に出迎えていただきました。とても感謝しています」
―地域の期待の星でもあるどん北のみなさんですが、まずは高橋選手がソフトテニスを始めたきっかけからお伺いできますか。
「ソフトテニスのコーチをしている父の知り合いに、声をかけていただいたのがきっかけです。たまたま私が『太鼓の達人』というゲームをしているところをその方が見て、『バチさばきが上手い。きっとラケットも上手く使えるはずだから、テニスをやってみないか』と声をかけてくださいました。小学校まではバスケットボールと水泳もしていたんですが、中学校では部活動を一つに絞らなければならなかったので、ソフトテニスを選んで続けることにしました」
―高校は、北海道の札幌龍谷学園高校に進学されました。
「はい。ソフトテニスをするために、地元の岩手から離れて札幌に進学しました。卒業後は実業団チームに所属し、2015年にどん北が創設してからは、ずっとどん北でプレーしています。高校生の時の練習試合で私のプレーを見てくださった監督さんが、現在のどん北の監督である中本裕二監督に紹介してくださったことで、ご縁ができました」
―そんな高橋選手の、数字にまつわるエピソードをお伺いしていきます。まずは、高橋選手の好きな数字を教えてください。
「やっぱり好きな数字は『1』ですね。先ほど、ソフトテニスを始めたきっかけの一つが太鼓の達人だったとお話ししましたが、コーチには『東北で1番にしてあげる』とも言われていたんです。小さい頃から徒競走などでも1番になりたくて頑張ってきたタイプだったので、『東北で1番』という言葉はすごく心に響きました」
―1番という意味では、高橋選手は様々な世界大会で金メダルを獲得されています。世界を舞台に戦って勝ち抜くための、心構えなどはありますか?
「国際大会では、自分の思い通りにできないことがとても多いです。ただ、私はどちらかというとそういう環境を楽しめるタイプなので、これまで経験してきた3つの国際大会のいずれも楽しめてプレーできたと思います。これまで結果を残すことができた大会を振り返ると、試合そのものを楽しめていたことが多かったんです。『楽しみながら、気がついたら優勝できている』という感覚なので、楽しむことで本来の力を発揮することができているのではないかと考えています」
―では、高橋選手の自慢の記録や、重大入れのある数字はありますか?
「初めて日本代表になったのは『2018』年のアジア競技大会です。その大会で、ソフトテニス日本初の金メダルを獲得することができました。そういう意味でも、『2018』は思い出の数字ですね。もう一つは『2022』です。先月、金メダルと銀メダルを獲得したアジア競技大会は、本当であれば2022年に開催される予定でした。コロナ禍の影響で1年延期になった結果、今年開催されたのですが、大会名は2022年アジア競技大会のままだったので、2022という数字にも思い入れがありますね」
―2018年のアジア競技大会では、ご自身も『日本初の金メダリスト』を意識されていたのでしょうか。
「自分自身はそのことを全然知らなかったんです。出場した経緯も、もともと選ばれていた選手がケガで出られなくなったのでチャンスが回ってきたという形だったので」
―そうだったんですか。しかし結果的には金メダル獲得となりました。初の国際大会だったかと思いますが、どのような気持ちで臨まれたのでしょうか。
「まさかメダルが取れるとは、というのが正直な思いでした。初めての国際大会でしたし、何も知らない状態で出場しましたが、当時は『海外の選手と試合ができるのがうれしい』という思いが大きかったですね。もちろん緊張しましたが、そのなかでも楽しもうというスタンスで大会に臨みました」
◆地域に愛され、支えられるチームだからこそ、支援に結果で恩返しをしたい思いは誰よりも強い
―高橋選手はどん北で、国内外の大会で多くの優勝経験を持つ半谷美咲選手(2022年シーズンをもって現役引退)と8年間ダブルスを組んでいました。半谷選手とペアを組んでいた期間は、高橋選手にとってどのような期間でしたか。
「半谷選手とペアを組み始めてから、私自身も『日本代表になるために頑張ろう』という思いで練習を積み重ねるようになりました。最初の何年かはなかなかうまくいかなかったのですが、徐々に勝てるようになってきて、代表入りできる確率も上がっていきました。半谷選手のテニスに対する気持ちや意識も勉強になることばかりで、プレー以外の人間性など、たくさんのことを教えていただいたと思っています。半谷選手とペアを組んでいた8年間は、私自身が変わることができた8年間だったと思っています」
ーでは、高橋選手がソフトテニスの選手として、目標にしている記録やタイトルはありますか。
「国内でも色々な大会があるのですが、取れていないタイトルが一つだけあるんです。それが全日本選手権での優勝です。今は、その大会で1番を狙いたいというのが私の大きな目標ですね」
―高橋選手の思い入れのある数字は、初の国際大会出場となった『2018』、3つのメダルを手にした『2022』、そして優勝を目指すという意味での『1』ということですね。
「はい。どん北は地域密着型のチームとして、北広島町のみなさんに支えていただきながら遠征に行ったり、大会に出場したりしています。これは本当にありがたいことですし、私たちは、結果を残すことで地域のみなさんに恩返しをしていかなければならないと思っています。平日の練習も自由に見にきていただけるので、大会や練習にぜひ足を運んでいただいて、たくさんの方に少しでもどん北とソフトテニスの魅力を知っていただければと思います」
―本日は、ありがとうございました。
「ありがとうございました」
高橋乃綾選手の【My Favorite Numbers】
『2018』『2022』『1』
高橋乃綾
Noa Takahashi
1996年12月15日生、岩手県出身
中学から本格的にソフトテニスを始め、高校は札幌龍谷学園高校に進学。実業団チーム・NTT西日本を経て、2015年からどんぐり北広島ソフトテニスクラブでプレーしている。2018年のアジア競技大会では、ソフトテニスにおける日本人初の金メダルを獲得(シングルス)。どんぐり北広島ソフトテニスクラブのチーム創設時から所属する選手の一人であり、国際大会のみならず、東京インドア優勝4回、全日本インドア優勝2回など国内の大会でも結果を残し続けている。
◆チーム情報/どんぐり北広島ソフトテニスクラブ
2015年、地域密着型クラブとして北広島町に誕生した女子ソフトテニスクラブ。日本ソフトテニス界の第一人者である中本裕二監督のもと、ナショナルチーム選手や年代別代表を多数輩出。日本トップレベルの女子ソフトテニスチームとして活動を続けている。選手たちは県外から北広島町に移住し、地元企業で働きながらトレーニングを重ねている。地域密着を掲げ、高校生をはじめとする地元の子どもたちに向けたソフトテニス教室なども定期的に開催している。