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取材記事
My Favorite Numbers
〜数字が紐解く広島アスリートの素顔 〜
【第14回】広島エフ・ドゥ 宮原勇哉選手
新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。
本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に、「自身にとって印象深い『数字』」をインタビュー。
競技人生における自慢の成績、好きな数字、ラッキーナンバー……数字にまつわる物語から、選手の新たな一面にフォーカスする。
連載第14回は、広島を本拠地として活動するフットサルクラブ『広島エフ・ドゥ』から、宮原勇哉選手が登場。北海道のチームで活躍していた宮原選手が、広島エフ・ドゥに移籍を決める、ターニングポイントになった出来事とは。そして、今シーズン達成した数字にまつわるある〝記録〟や、プロフットサル選手として目指す大レジェンドの記録について語ってもらった。
◆ターニングポイントとなった大きな決断。『後悔しない生き方』を選んだ末の広島移籍
ー北海道出身の宮原選手ですが、広島のクラブチーム、広島エフ・ドゥでプレーするようになったきっかけは?
「僕は小学生の頃からサッカーをしていたのですが、地元の北海道は、冬場は屋外で練習ができなくなるんです。その期間は体育館でフットサルをするのが当たり前という環境だったので、僕自身も自然とフットサルをプレーするようになりました。高校卒業後は北海道のフットサルクラブ・エスポラーダ北海道に所属していて、そこで一緒にプレーしていた小島翼選手(2022-2023シーズンまで広島)が一足先にエフ・ドゥに移籍し、彼に誘われたことで広島への移籍を考えるようになりました」
ーエスポラーダ北海道は日本フットサルリーグ(Fリーグ)のディビジョン1、広島エフ・ドゥはいわゆる下位リーグにあたるディビジョン2に所属しています。カテゴリが変わることに対して、迷いはありませんでしたか?
「フットサル選手としてさらに上を目指したり、日本代表入りを目指すのであれば、エスポラーダに残るという選択肢ももちろんありました。ただ『若いうちしかチャレンジできないこともある』と考えた時に、他のチームの環境も体験してみたいと感じるようになったんです。フットサルはどうしてもマイナーなスポーツだと捉えられがちです。プロ野球やサッカーの選手でさえセカンドキャリアについて考えなければならないなか、僕たちはより一層セカンドキャリアについて向き合っていかなければなりません。僕が移籍した当時、エフ・ドゥはフットサル界を盛り上げるために『あしざるFC』というYouTuberとしての活動にも取り組んでいました。(小島)翼くんもメンバーの一人として活動していて、『ミヤも来たら良いじゃん』と声をかけてもらい、エフ・ドゥに移籍しあしざるFCにも参加することになりました」
ー様々なきっかけが重なって、大きな決断を下されたんですね。
「そうですね。実は僕は、北海道でプレーしていた時に心臓の病気を患ったんです。フットサルを辞めるか、それとも手術をしてでもフットサルを続けるか……そこでも一つ、大きな決断をしなければならなかったんですよね」
ー現在もプロ選手としてプレーされているということは、手術を受けることを決断した、ということでしょうか。
「はい。僕の心臓には、ペースメーカーが入っているんです。日本のフットサル界では、それまでペースメーカーを入れてプレーをしている選手はいなかったと思います。海外ではペースメーカーを装着してプレーしたサッカー選手もいたと聞いたことがありますが、日本では僕が初めてだったのではないでしょうか。現在は医療機関の検査を受けた上で、問題なく試合にも出場できるというお墨付きをもらっていますが、手術をするかどうかは、やはりすごく悩みました。ペースメーカーを入れても、病気が完全に治るわけではありません。僕の病気は運動中に心臓が止まってしまう可能性があるというものなので、ペースメーカーは、万が一の時の手助けのようなものなんです。常にリスクのあるなかでプレーしているのですが、そうした不安よりも『僕からフットボールを取ったら何も残らない』という思いが強かったというか……フットサルを続けたいという、その一心で手術を決断しました」
ー心臓の手術を受けたことも、広島移籍に少なからず影響を及ぼしましたか?
「はい。『ここで翼くんの誘いを断ったら後悔するかもしれない。後悔しない生き方をしよう』と思って、広島に来ることを決めました」
◆目標は『400試合出場』の達成。古巣のレジェンドに並ぶ大記録を目指していきたい
ーここからは、宮原選手にとってのラッキーナンバーや、大切な数字についてお伺いしていきます。数字と言われて、宮原選手が思い浮かべるものはありますか?
「背番号でもある『8』です。中学生の頃の背番号も8で、エスポラーダ北海道でも、ほとんどの期間で8を背負わせてもらいました。エフ・ドゥでも8をつけているので、思い入れはありますね。あとは、たまたまこのインタビューのお話をもらったタイミングで、今季のゴール数とアシスト数が8だったので、より一層、縁を感じました。僕のなかで背番号8の選手は、テクニシャンでもファンタジスタでもない代わりに、すごく堅実な選手というイメージがあるんです。僕自身のプレースタイル的にも、8っぽいのかなと感じていて。そういう意味でも、自分にとって縁の深い数字なのではないかと思っています」
ー宮原選手の思う、フットサルならではの特徴的な数字は何でしょうか?
「フットサルといえば、『4』が重要な数字になるのではないかと思っています。4秒ルールという、キックインやコーナーキック、フリーキックの際、4秒以内にリスタートしなければならないルールがあるんです。その分試合展開も目まぐるしく入れ替わりますし、プレーする選手としても、瞬時の判断や切り替えが必要になります」
ー4秒ルールが、フットサルのスピーディな試合展開を生み出す一つの要因なんですね。
「そうですね。フットサルはサッカーに比べてコート内の選手の人数も少ないですし、コート自体もコンパクトです。試合展開も早いので、見ていても飽きないのが魅力の一つではないかと思います。ピンチの場面、チャンスの場面が常にやってくるので、緊迫感も味わえるのではないでしょうか。プレーしていてもボールに触れる機会が多いので、そういったところもおもしろさの一つだと思っています」
ーでは、宮原選手がフットサル選手として目標にしている記録、数字はありますか?
「僕は今シーズンの9月に、Fリーグ通算200試合出場を達成しました。ただ、Fリーグで最多出場を記録している水上玄太選手は、450試合以上に出場しています。水上選手とはエスポラーダ北海道時代に一緒にプレーしていたのですが、40歳の今でも現役でプレーし続けている姿は本当に尊敬しています。僕たちの所属しているディビジョン2は、年間16試合が開催されます。ディビジョン1でも年間22試合なので、10年間フル出場したとしても220試合。10年後の僕は37歳なので、チームがディビジョン1に昇格し、僕が全試合出場し続けたとしてもだいたい420試合です。それを考えると、450試合以上に出場しているというのは本当にすごい記録ですよね。レジェンドに追い付け、追い越せではありませんが、一つの区切りである『400』試合まではあと半分だということを考えると、400試合出場は達成したい目標の一つだと思っています」
ー宮原選手にとって思い入れのある数字は、背番号である『8』、フットサルならではのルールでもある『4』秒、そして、目標でもある『400』試合出場ということですね。
「そうですね。今シーズンも残り試合はわずかです。なかなか思ったような結果が出ず、もがいているところもありますが、見に来てくださった方に喜びや非日常感を届けられるように、必死にプレーしていきます。ぜひ、現地に足を運んで声援を送っていただけるとうれしいです」
宮原勇哉選手の【My Favorite Numbers】
『8』『4』『400』
宮原勇哉
Yuki Miyahara
1996年11月10日生、北海道出身
小学校からサッカーを始め、高校卒業後は地元・北海道のフットサルクラブ・エスポラーダ北海道に所属。北海道で8年間プレーしたのち、2022年に広島エフ・ドゥに移籍した。ポジションはFP(フィールドプレーヤー)。2023年9月8日のFリーグ2023-2024第10節(仙台戦)で通算200試合出場を達成。ディビジョン1昇格を目指すチームの中心選手として活躍している。
◆チーム情報/広島エフ・ドゥ
1999年に創立した、広島をホームタウンとするフットサルクラブ。発足直後から中国フットサルリーグで7度の優勝を飾るなど、中国地方屈指の強豪チームとなる。現在は日本フットサルリーグ(通称・Fリーグ)ディビジョン2に所属。2021年4月には県内のフットサル普及と選手育成を目的としたサテライトチーム、広島F・DOレグルスを設立。U-15、U-18チームなど、育成年代にも力を入れている。