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My Favorite Numbers
~数字が紐解く広島アスリートの素顔~
【第2回】広島ドラゴンフライズ・船生誠也

新たなスポーツの楽しみ方を提供する、広島横断型スポーツ応援プロジェクト、通称『Team WISH』。プロ野球やJリーグをはじめ、数多くのトップスポーツチームを有する広島県ならではの取り組みとして、日々、各チーム・選手の魅力を発信している。

広島ドラゴンフライズ ・船生誠也 選手

本連載では、Team WISHに参加する全25チームの選手・関係者に「自身にとって印象深い『数字』」をインタビュー。
競技人生における自慢の成績、好きな数字、ラッキーナンバー……数字にまつわる物語から、選手の新たな一面にフォーカスする。

連載第2回目は、BリーグB1に所属するプロバスケットボールチーム『広島ドラゴンフライズ』の船生誠也(ふにゅう せいや)選手が登場。2022-23シーズンは初のチャンピオンシップ進出も果たし、来シーズンに向けますます注目が集まるクラブで活躍する船生選手の心に残る『数字』を紐解いていく。

◆印象的なのは、背番号でもある『6』と『7』

–この連載では広島で活動されているアスリートのみなさんに、『忘れられない数字・思い出深い数字』についてさまざまなエピソードをお伺いしています。プロバスケットボールチーム・広島ドラゴンフライズでSF(スモールフォワード)として活躍されている船生選手にとって、『思い入れのある数字』はありますか?

「まずは『6』と『7』ですね。7はいま僕が広島でつけている背番号です。ただ、広島に来るまでは他の背番号で、2016年から所属していた名古屋(ダイヤモンドドルフィンズ)と2018年から所属していた富山(グラウジーズ)では6をつけていたんです。2020年に移籍した琉球(ゴールデンキングス)では1をつけていて、広島に移籍してから7をつけるようになりました」

–琉球で背番号を6から1に変更された理由は何だったのでしょうか?

「琉球では、それまでつけていた背番号6が永久欠番になっていたんです。他にどの番号があるかなと思っていた時に、『7がいいよ』とすごく勧めてくださる方がいて。その方は沖縄で出会ったパワフルなおばあちゃんだったんですが、本当に面白い方で、『あなたはやっぱり7をつけるのが良いよ』と言ってくれていたので、最初は7をつけることも考えていたんです。ただ、琉球にはもう背番号7の選手 がいて……」

–なるほど、すでに埋まっていたんですね。

「はい。しかもその選手が、青山学院大時代の後輩の『ナナー ダニエル弾』(現在はレバンガ北海道に所属)選手だったので(笑)。ナナーが7をつけてるんなら仕方ないなと思って、他の数字にすることにしました」

–そんなエピソードがあったのですね。そして、広島に移籍されて7をつけるようになったと。ここで、6ではなく7になった理由は何だったのでしょうか?

「移籍した当初は、背番号を6に戻そうかとも思ったのですが、広島では『ブースター(ファン)は“6”番目の選手』という理由から、6がブースターの番号になっていたんです。代わりに7が空いていたので、琉球時代につけていなかった7を選ばせてもらいました。これからは、ずっと7でいこうかなと思っているところです」

◆数字の神秘に魅せられて

–船生選手は数字に非常にこだわりがあるとお伺いしましたが、もともとそういった、数であったり数字というものがお好きだったのでしょうか?

「数字にはもともと興味がありましたね。奇数と偶数だったら奇数の方が強いな、とか。そういうことを考えるのは好きでした。占いでも、誕生日をすべて足していって、二桁になったら一の位と十の位を足して一桁にする……とか、よくありますよね」

–そうですね。ただ『奇数の方が強い』というイメージはあまりありませんでしたが……。

「一桁の数字のなかでは9が一番大きいですよね。そういうイメージもあって、『9は強そうだな』と感じていたんです。9は奇数でもあるので、そういったところからも『奇数って強そうだな』と思うようになりました。実際に、背番号9をつけている選手は、“持ってる人だな”と感じることもありましたし」

–そういう数字の考え方、楽しみ方もあるんですね。

「そうですね。僕も興味があって、YouTubeなどで解説している動画を見ていた時期もありました。よく“数字は裏切らない”と言われますが、僕自身もそれはすごく感じているんです。例えば“99パーセント当たる”ということは、“1パーセントは外れる”ということでもありますよね。そうなると、当然その“1パーセント”を引き当てる可能性もあるわけです。どんなに低い可能性であっても、可能性として存在する以上は引き当ててもおかしくない。そう思って、結果にあまり一喜一憂しないようにしています」

◆プロの世界へ導いてくれた『52』

–バスケットを始めてから今日まで、試合や練習をしてきたなかで、もっとも船生選手の記憶に残っている数字は何でしょうか?

「試合のなかで記憶に残っている数字というと、『52』ですね。僕のキャリアハイが、インターハイに出場したときにあげた1試合52得点なんです。その年の全国大会では最多得点で、当時はやはり周りからも注目されました。そこで注目してもらえたからこそ、高校卒業後の大学進学にもつながりました。高校時代、僕は特に有名な選手というわけでもなかったので、今こうしてプロとしてプレーできているのは、あの日『52』点を取って、そこで注目してもらえたからこそだという風に思っています。試合そのものも強豪校が相手のインパクトのあるゲームだったので、僕自身も鮮明に覚えていますね」

–では、船生選手の印象深い数字はプロでつけた背番号の『6』、そして広島でつけている背番号の『7』、高校時代のキャリアハイ『52』ということですね。偶然にも、5と2を足すと、背番号の7になります。

「そうですね。そういう意味でも印象的な数字だと思います。あの52がなかったら、今、まったく違う道に進んでいたかもしれません。僕を導いてくれた数字と言ってもいいと思います」

–本日は、興味深いお話をありがとうございました。 「ありがとうございました」

【船生誠也の My Favorite Numbers】
『6』『7』『52』


船生 誠也

Seiya Funyu

1993年12月15日生、福島県出身
前橋育英高時代のインターハイで、京都の強豪校・洛南高と対戦し、52得点をあげる活躍をみせる。卒業後は名門・青山学院大へ進み、2015年からアイシンシーホース三河に所属。名古屋ダイヤモンドドルフィンズ、富山グラウジーズ、琉球ゴールデンキングスを経て2021年、広島ドラゴンフライズに移籍した。2022-23シーズンにはB1通算500アシストを達成。190㎝を超える長身ながらディフェンスにも長けており、PGからSFまでの全てのポジションをこなす万能型選手。

◆チーム情報/広島ドラゴンフライズ
広島初のプロバスケットボールクラブとして誕生。初代ヘッドコーチに佐古賢一氏を迎え、2014年にNBLへ参入した。2016-17シーズンから開幕したB.LEAGUEに参戦。初代所属選手には、朝山正悟、竹内公輔(現・宇都宮ブレックス)、北川 弘(現・島根スサノオマジック)、坂田 央(現・愛媛オレンジバイキングス)ら。現GMの岡崎修司、スリストム広島(3×3プロバスケットボールチーム)代表の仲摩匠平も創設期のメンバーである。2022-23シーズンを西地区4位で終え、クラブ初のチャンピオンシップ進出を果たした。