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支えてくれたファンのおかげで今がある
スポーツ事業で地元広島に恩返しを【前編】

阪神タイガース、西武ライオンズ、そして故郷である広島東洋カープで活躍した元プロ野球選手・江草仁貴(えぐさひろたか)さん。2017年9月に、15年にわたる現役生活にピリオドを打ち、現在は株式会社キアンの代表取締役としてスポーツ事業の運営に携わり、昨季からは、阪神2軍投手コーチ、そして昨年末には福山市スポーツ協会アンバサダーに就任し活躍している。今回は、地域貢献を軸にマルチな才能を発揮する江草さんに、現在の事業内容、現役時代のマル秘エピソード、今後の展望などを伺った。

セカンドキャリアとして選んだ経営者という道

―2017年に現役を引退し、「株式会社キアン」を立ち上げ、新たなスタートをきられました。まずは、会社設立の経緯を聞かせてください。
 阪神からトレードで西武へ移籍した頃から、セカンドキャリアを考え始めました。現役を引退して、自分には何ができるんだろうと考えたとき、介護が頭に浮かんだんです。元々僕は、祖父母と一緒に住んでいたので、デイサービスという仕事に馴染みがありました。そこで、高齢者の方が喜ぶような事業がしたいと思ったんです。オフシーズンに各県のさまざまな施設に見学に行くなどの準備を経て、カープ在籍年最後の年に、介護事業をメインとした会社を広島で立ち上げました。

(野球教室で笑顔を見せる江草氏)

―実際、おじい様やおばあ様の介護に関わられていたのですか?
 僕は直接の介護はしていません。喋り相手になった程度です。祖父が亡くなった後の祖母は、家でひとりぼっちでした。ところが、デイサービスを利用した後の祖母は、とても笑顔だったんです。高齢者の方にとって、人と喋ることはとても大事であり、デイサービスの必要性を感じました。

―現在の事業内容を教えてください。
 プロ野球生活15年間で、僕は、夢や希望を人々に与えるスポーツの力を身に染みて感じてきました。今は介護事業を一旦売却し、スポーツイベント企画や動画編集、動画投稿サイト等の運営を行っています。全ては、スポーツの力で地域を元気にしたいという思いからです。現役時代、僕は広島の皆さんからたくさんの応援をいただきました。今度は僕が恩返しをする番だと思っています。2022年度より、阪神2軍投手コーチも務めている関係で、なかなか会社に顔を出せていませんが、優秀な社員たちが頑張ってくれています。

(子供たちから届くたくさんのメッセージ)

―福祉活動も積極的に行われていますね。
 福山市の児童養護施設にいる子どもたちに、物品の寄付をしています。知り合いの方に「福山にも児童養護施設がある。子どもたちが喜ぶから行ってみてくれないか」と現役時代に言われたことがきっかけです。児童養護施設には、虐待やネグレクト、そして色んな事情があり親と一緒に住めない子たちが暮らしています。子どもたちが喜んでくれる姿を見るのが本当に嬉しく、毎年伺うようになり10年以上が経ちました。今は、福山市だけでなく、兵庫や大阪の同じような境遇の子どもたちがいる場にも出向いています。

―なかなかできる活動ではないと思います。
 子供たちに会うと、僕が元気をもらえるんです。それに忘れられないエピソードがあります。
僕は長年、ZETT(ゼット)の野球用品を使っていました。その流れで、児童養護施設にもZETTのプロダクトをよく贈っていたんです。すると数年前、同社の方から「児童養護施設に行っているのか」と電話で問い合わせがありました。聞くと、僕が通っていた児童養護施設の子が就職面接に来たというのです。「江草選手からZETTの商品をもらったことが嬉しく、興味を持った」と、入社希望理由を語ったそうで、本当に嬉しかったですね。今後も、この活動はずっと続けていきたいと思っています。

家族の繋がりに満ちた広島東洋カープの5年間

(地元福山市で子供たちへのイベントを開催)

―今シーズンは、新井監督が就任し、新生カープが盛り上がっています。改めて、広島東洋カープの魅力を教えてください。
 新井さんが各メディアで「家族」や「ファミリー」という言葉に例えておられますが、まさにその言葉がぴったりのチームです。一軍二軍関係なく、みんなが和気あいあいと交流し、とても温かい雰囲気があります。

―福山市出身の江草さんです。広島カープに移籍された時は嬉しかったですか?
 もちろんです。めちゃくちゃ嬉しかったですね。僕も、カープの帽子をかぶって小学校に通っていた大のカープファンでした。カープのユニフォームを着てプレーできるのは、特別な思いがありましたね。それに、阪神時代になりますが、広島市民球場の最後の試合となった広島とのオープン戦で9回裏に登板したのが僕なんです。「広島旧市民球場のプレートを最後に踏んだのは僕だ」と、今でも自慢しています(笑)。

―今だから言える現役時代のマル秘エピソードを教えてください。まずは阪神時代からお願いします。
 阪神在籍中の2005年に、優勝を経験しました。優勝祝勝会とビールかけを行い、テレビ局周りの後、優勝した嬉しさのあまり夜中の2時から仲間内でお酒を飲み始めたんです。そのまま寝ずに、翌日の神宮での試合でマウンドに上がると、体がとんでもなくしんどく、結果5点取られて逆転負け。その時の先発が、広島県出身の福原忍投手でした。福原さんは次の日の先発投手に決まっていたので、祝勝会とビールかけの後、翌日準備にすぐとりかかっていたんですね。つまり、福原さんの勝ちを、僕が消してしまったんです(苦笑)。あの時の福原さんの冷たい目だけは今でも忘れられません。本当に申し訳ないことをしたと今でも思っています。そんなこともありましたが、今はタイガースの二軍で福原さんと一緒にコーチをしています。もちろん仲良しですよ(笑)。

―カープでの思い出に残るエピソードはありますか?
 中﨑(中﨑翔太投手)と仲良くなりすぎて、彼の家に一週間ほど泊まり続けたことがあります。もちろん僕にも、家はあったんですけどね。泊まって何をするわけでもなく、中﨑の家にあった、漫画を読み漁っていました(笑)。中﨑は、「七つの大罪」をはじめとする冒険ファンタジー漫画が好きで、そういう類の漫画をたくさん持っていたんです。なぜか最終的に鍵をもらって、勝手に家に入っていましたね。まるで同棲ですね(笑)。

後編では、SAHの神田代表との驚きのご縁や、地元福山市をはじめ、スポーツ事業を通してどんな恩返しをしていきたいと考えているのか、についてお話しますので、来週の記事もぜひ読んでください。


江草仁貴

Egusa Hirotaka

1980年生まれ。広島県福山市出身。専修大学卒業後、ドラフト自由枠で阪神タイガースに入団。3年目の2005 年に頭角を現し、中継ぎとして51試合に登板。リーグ優勝に貢献する。2011 年に西武ライオンズに、2012 年に広島カープにトレード移籍。カープでは5 年間を経験し、2017 年限りで現役を引退。その後、株式会社キアンを設立し代表取締役に就任。現在は、経営者、阪神2軍ピッチングコーチ、福山市スポーツ協会アンバサダーを務めるなど、スポーツ振興に向け多岐にわたり活動中。