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取材記事
人とスポーツとの距離が近い広島。地域の人に支えられてV奪還へ
1931年頃に「専売広島」のバレーボールチームとして創部したJTサンダーズ広島。日本でも古参のチームで、かつて日本男子バレーを世界の頂点へと導いた猫田勝敏も所属しており、その後も多くの日本代表選手を輩出。1967年から始まった全日本バレーボール選抜男女リーグから現在の V.LEAGUE DIVISION 1に至るまで一度も2部に降格せず、ずっと1部リーグで活躍している唯一のチームだ。
2000年代に入ってからは天皇杯・皇后杯で優勝3回、黒鷲旗で優勝4回という功績を残し、2015年にはV・プレミアリーグ2014-15シーズンで悲願の初優勝を果たした。
2020-21シーズンのV.LEAGUE DIVISION 1は原秀治監督のもと新体制で臨んだが、10チーム中6位という結果に。レギュラーラウンド17勝19敗と、悔しさの残るシーズンとなった。
4月30日(金)~5月5日(水・祝)に開催予定だった「第69回黒鷲旗 全日本男女選抜バレーボール大会」(新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止が決定)に向けて練習に励んでいた、山本将平キャプテンと合田心平副キャプテンに話を聞いた。
◆バレーボールの面白さに触れて夢中で邁進
―バレーボールを始めたきっかけを教えてください―
山本選手:母親がママさんバレーをしていたので、遊びに行くような感覚で姉と一緒について行っていました。その後、姉が入っているクラブチームの練習にもついて行くようになり、小学校3年生のときから本格的に練習を始めました。当時はまだ身長が低く、ポジションはレシーバー。小学生のバレーボールはローテーションがないので、ずっとレシーブをするだけでした。
合田選手:父親がスポーツ少年団の監督をしていて、3つ上の兄もやっていたので、小学校に入ると自然な流れで僕も始めるようになりました。小学3年生からセッターの練習を始めて、その時からずっとセッター一筋ですね。
―辞めることなくずっと続けられた理由は?―
山本選手:実は小学生の頃、練習が厳しすぎて「辞めたい」って言ったことが一度だけあります。自由に遊んでいる友達を見て、いいなって思ったんですよね(笑)。でも父親から「絶対に辞めるな」と言われて。その後は辞めたいと思うことはなくなりました。だんだんとバレーボールが生活の一部というか…自分の中での存在が大きくなっていったんですよね。
合田選手:僕は、小学5年生のときに部員不足でチームがなくなってしまったので、広島県内の別の小学校に転校して下宿させてもらいました。ホームシックで泣くこともあったけど、中学、高校も強い環境を求めて進学し、気付いたらここまで来ていたという感じです。辞めたいと思ったことはありませんね。練習は厳しいけど、バレーボールが楽しいし好きです。
バレーボールって、一人じゃできない、チームプレーのスポーツだからこその面白さがあると思うんです。スーパースターがいれば勝てるというものじゃないので。それと、ボールを持つこともドリブルをすることもできないというのが、他のスポーツと違って面白いですよね。一瞬の判断が大事で、難しさもあるけど面白さを感じます。
◆苦しいシーズンの中で見つけた収穫
―2020-21 V.LEAGUE DIVISION 1シーズンを振り返っての感想をお聞かせください。―
合田選手:2019-20シーズンまで6年間同じ監督のもとでやってきましたが、2020-21シーズンは監督もコーチ陣もガラリと変わり、新しい環境や変化に対応するための難しさを感じるシーズンでした。こういうときだからこそ、コミュニケーションを取ることが大事だと思いました。
山本選手:たしかに昨年からは大きく変化したシーズンでした。自分たちも環境に合わせて変わろうとしたけど、結果、リーグでの成績は6位に留まり、うまくいかなかった。でも、全部が悪かったわけではないんです。どういう風に戦いを進めていくべきかチーム全体で話し合い、考えられるようになりました。徐々にコミュニケーションを取ることができるようになったし、最後の頃はチームがうまくまとまっていたと思います。
合田選手:シーズンの最初の頃はコロナ感染防止対策によるストレスもありましたよね。いろんなことを確認しながら進めて行かないといけないのに、スタートを分けて練習しないといけないなど、難しかった。でも山本キャプテンが言うように、しんどい、苦しいときはチーム内で話し合うことができたと思います。もがきながらだけど、勝利という目標に向かって全員で取り組むことができ、次につながるシーズンになりました。
山本選手:自分たちが試合にどうアプローチをしていくかが見つかった、収穫のあるシーズン。今回のリーグでの結果を無駄にせず、コミュニケーションの取り方についても継続していきたいです。
―個人としての課題や目標を教えてください。―
山本選手:入団当初から現在まで目標は変わらず、トップレベルのアウトサイドヒッターを目指し、追及していくこと。遠い空にある目標なんですが、ずっと追い続けています。
合田選手:僕は途中から出場することが多いので、スタートから試合に出ることが目標です。長く出場できるのは、それだけチームから必要とされているということ。なるべく長くコートに立てるようになりたいです。
◆スポーツが人々の身近にある広島で活躍を
―二人とも広島に来てから数年が経ちます。オフの日はどのように過ごしていますか?―
山本選手:釣りに行くことが多いですね。5年前に広島に来たとき、寮で暮らしていてすることがなかったので始めたんです。最初はチームメイト何人かと行ってたんですけど、なかなか釣れないからって、僕以外みんな辞めてしまいました(笑)。最近は小野寺選手がやってみたいって言うので、一緒に行っています。最初の頃は宇品とか近場で釣っていたんですけど、今は(廿日市市)吉和の方とか少し遠くまで足を伸ばすようになりました。
2020-21のリーグを終えた後には(安芸太田町)三段峡に行って、イワナとアマゴを釣りました。イワナは中国地方にしか生息していないんですよね? イワナは逃がして、アマゴは塩焼きにして食べました。5月からのオフには、アオリイカを釣りに行ってみたいです。(呉市)倉橋の方で釣れるって聞いたので。ちなみに普段はルアー派です。釣れなかったから、仕方なく餌を付けます(笑)。
合田選手:僕は、昨年コロナの自粛期間中に暇なので寮にあるサウナに入っていたら、気持ち良くてハマってしまって。すっかり「サウナ―」です(笑)。サウナに入って、水風呂に入って、休憩…これをそれぞれ10分ずつ行って3セット繰り返せば「整った」状態になります。これが体に良いのかはちょっと分からないんですけど(笑)、リフレッシュになりますね。コロナが落ち着いて外出できるようになったら、あちこちのサウナに行ってみたいと思っています。今は「湯来リバーサウナ」(佐伯区湯来町)っていうテントサウナが気になっています。
―合田選手は広島県神石郡出身。2018年にパナソニックパンサーズからJTサンダーズに移籍し、崇徳高校時代から約7年ぶりに広島に帰ってこられました。地元でのプレーはどうですか?―
合田選手:広島ってスポーツにすごく熱いですよね。他のチームに行って、広島に帰ってきて実感しました。メディアがこんなにたくさんスポーツを取り上げてくれる県ってなかなかないんじゃないかと思います。広島出身として誇らしいしうれしいです。広島にはいろんなスポーツがある中で自分も結果を残していきたい。現役時代に優勝することが夢です。
◆地域の人たちとの触れ合いを力に
―これから来シーズンまでどのようなスケジュールで準備していきますか?―
山本選手:5月5日(水・祝)に「黒鷲旗」(新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止が決定)が終わったらシーズンオフに入ります。6月と7月はバレーボール教室などをしながら練習を始め、10月にV.LEAGUE DIVISION 1が開幕します。11月と12月には天皇杯もあります。
―バレーボール教室は、JTの社会貢献活動として、子どもたちの健全育成や地域のスポーツ振興と発展等を目的に開催されているそうですね。小中学生から高校生、ママさんチームまで、参加者のレベルに合わせたバレーボールの基礎技術などを指導されていると聞きました。―
合田選手:そうです。一般の方との触れ合いは楽しく、特に小中学生は素直に「すごい!」って喜んでくれるので、僕らも楽しいですよ。スパイクを全力で打って見せたら「うわーーっ!」歓声があがります(笑)。全力で教えるから、全力で感じてもらいたいですね。中学生以上には細かい技術指導も行うようにしています。
山本選手:一番初めに、「試合を観に来たことがある人―?」って聞くんですけど、けっこうな人数の子たちが手を挙げてくれるんです。自分が思っていた以上に、みんなバレーボールに興味を持ってくれているんだなと感じられてうれしいです。あと、子どもには分かりやすさが大事だなと思っていて、あえて派手なプレーをして見せたりします(笑)。「わー!!」って喜んでくれているのを見るのは楽しいしうれしいですね。指導する上では、人見知りな子にはこちらから話しかけたり積極的にコミュニケーションを取るようにしています。人懐っこい子は自分からグイグイ来てくれるので(笑)、引っ込み思案な子に目配りをするようにしていますね。
―その他にも、市民参加型の清掃活動「ひろえば街が好きになる運動」や森林保全活動「JTの森」など、地元広島に密着したチームとしてJTの社会貢献活動にも積極的に参加されているそうですね。―
山本選手:僕は呉市での「ひろえば街が好きになる運動」に参加したことがあります。呉市の会場で試合を行うことも多いので、チームを普段から応援してくださっている方がたくさんいて驚きました。JTとしても選手としても地域貢献は大事だと思っているので、今後も機会があれば参加したいと思っています。アットホームな雰囲気で、地域の方と交流ができるのも楽しいですしね。
合田選手:僕は「JTの森」に参加して、道を舗装したり木を切ったりしました。みんなで木のスプーン作りもしました。地域の大学生やJTのグループ内の人たちなど、普段触れ合うことのない人たちと話すことができ、僕らを知ってもらう良い機会になって良かったと思います。社会貢献活動をしながら交流できるのがいいですね。
―社会貢献活動以外で、ファンや一般の方との触れ合いで印象に残ったことはありますか?―
山本選手:コロナの感染拡大防止でなかなか交流を持てない分、昨年はZOOMでファンクラブの方とリモート対談しました。ファンの方が何を思っているかなど、直接聞く機会ってまずないんですよね。だから、「そう思ってるんだ~」って感じたり、新鮮で面白かったです。また企画できるといいですね。
―最後に、来シーズンへの意気込みを教えてください。―
山本選手:優勝を目指してやっていくことが一番です。今シーズンと同じ結果を出すわけにはいかない。結果にこだわって、勝つために一からやっていきたいです。
合田選手:日々の積み重ねが結果につながるので、1日1日を大切に、覚悟を持ってやっていきたい。来年はいい結果を出せるよう、優勝までの過程にこだわっていきたいです。
創部から90年の歴史を歩んできたJTサンダーズ広島。2019年にチーム名に「広島」を加え、より地域とのつながりを強めている。選手自ら地域の社会貢献活動へ積極的に参加をし、オフシーズンに開催するバレーボール教室は「僕たちも本当に楽しい」と二人ともにっこり。地域の人やファンとの交流から得られるパワーもあるに違いない。
来シーズンに向けては、「苦しいシーズンの中で見つけた収穫を生かしたい。目指すのは優勝のみ」と強い覚悟も。7年ぶりのVリーグ制覇への挑戦を見届けたい。
【山本将平 Shohei Yamamoto】
1991年3月21日生、東京都出身。ポジション:アウトサイドヒッター。187cm、75kg。日本体育大学を卒業後、FC東京を経て、2016年JTサンダーズに入団。キレのあるスパイクと力強いサーブが持ち味。2018年からキャプテンとしてチームを牽引する。
【合田心平 Shinpei Goda】
1992年9月23日生、広島県出身。ポジション:セッター。172cm、69kg。崇徳高校、大阪産業大学を卒業後、パナソニックパンサーズを経て、2018年JTサンダーズに入団。短い時間でもチームが求める働きに応え、泥臭く戦う。
本取材にご協力いただきましたJTサンダーズ広島の関係者の皆様、本当にありがとうございました。
(文・インタビュー前岡/写真柿村)