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取材記事
「広島から世界へ」を体現したフルコンタクト空手界の大エース
「広島から世界へ」
この合言葉を旗印に、幼少期から夢に向かって突き進んだ武道家がいる。広島県呉市出身の空手家・島本雄二。第11回、第12回と世界大会を連覇した新極真会のエースで、長きにわたりフルコンタクト空手界のトップ選手としてその名を轟かせた歴戦の雄だ。
4歳上の兄・島本一二三(かずふみ)の影響で空手を始めたのは小学1年生のとき。当初は乗り気ではなかったが、出場した大会で完敗を喫したことが悔しくて、そこから本気で稽古に取り組むようになった。
とはいえ、すぐに強くなれるはずもなく悔しい思いも多く味わった。高い志を持って稽古を続ける兄の背中を追い続けたが、小学生の頃の4歳差は如何ともしがたく、当時は相手にもならなかった。
それでも歯を食いしばって食らい付くことで、次第に兄との距離を縮めていった。西日本の選手が多数参加する『全中国空手道選手権』(広島支部が主催)の決勝で兄に敗れ準優勝に終わると、翌年はさらなる努力を重ねて自らが優勝。この頃になると全国的にも“島本兄弟”の名前が広く知れ渡るようになっていた。
地域ごとのブロック大会を卒業し全日本クラスの大会に出場するようになると、島本兄弟の名前はさらに大きなものとなっていった。体重別の全日本ウエイト制の制覇はもちろんのこと、無差別級の全日本大会でも上位に入賞。そして2012年には全日本大会の決勝戦を兄弟対決で飾るという快挙を成し遂げた。
その後、雄二は新極真会のエースとして4年に一度の世界大会も連覇。ここでは「広島から世界へ」を具現化した稀代の空手家の道程を辿ることで、武道やスポーツの本質を紐解いていく。
◆2019年11月、世界大会の2連覇を達成
―2019年の『第12回世界大会』から約1年半が経ちました。現在は新たに開設された道場での指導が中心でしょうか?―
そうですね。今は道場での指導が中心です。世界大会の後に東京で道場を構えるという目標を持って大会前はずっと稽古を重ねてきました。そんななか世界大会を2連覇することができまして、目標通りに道場開設の準備を進めていたらコロナ禍が直撃したという形ですね。
—広島から東京に移って道場を開設するというのは、2度目の世界大会(2019年)の前から決めていたのですね―
はい。世界大会を初めて制した後の4年間というのは、体力的には問題ないのですが精神的な部分でモチベーションの持って行き方に苦労しました。やり切った感覚も少なからずありましたし、何を目標に4年間、稽古を続ければ良いのか。そういった葛藤がなかったかと言えば嘘になると思います。
—頂点を取ったわけですからね。では、そこに至るまでの過程を改めてお聞かせください。空手を始めたのは小学1年生のときですよね?―
最初は兄がやっていたので始めたという感じで、正直、あまり乗り気ではありませんでした。ただ、ある大会に出場してそこで何もできずに負けたことが悔しくて、そこから本気で稽古に取り組むようになりました。その頃から兄とは道場で“世界大会ごっこ”を、よくやるようになりましたね。そこからは次第に兄と世界大会や全日本大会の決勝で対決する、ということが夢になりました。
◆全日本大会の決勝で兄弟対決が実現
—雄二選手は2008年、2009年に全中国大会を連覇。同時期に全日本の舞台でも上位進出を果たすようになります。そんななか最初の転機と言えるのが、2012年の全日本大会だと思います。ここで子どものころからの夢だった、全日本大会の決勝での兄弟対決が実現することになりました—
ずっと兄の背中を追って、ずっと兄に勝ちたくて空手を続けてきました。それを全日本という舞台で叶えることができましたし、兄に勝って優勝することで大きな自信も得ることができました。世界大会の決勝でも対戦できるように、という新たな夢を兄弟で持つことができましたし、空手人生の中でも大きな出来事でした。
—直前に塚本徳臣支部長(第10回世界大会王者。現世田谷・杉並本部支部長)が引退されて「次のエースは誰だ?」という時期でもありました—
僕らが引っ張っていかないといけないという強い思いがあったので、本当にターニングポイントとなる大会でした。
—その直後に昼の仕事を退職し、道場での指導者も兼ねながら空手一本に打ち込むようになったと記憶しています—
そうですね。当時はこのままだと世界を取れないというのを感じていました。ただ、会社もすごく応援してくださっていましたので心残りはあったんですが、夢を叶えるためには今しかないと思い決断に至りました—
—しかし翌年の全日本大会はケガもあり4位。2016年の全日本大会では入来建武選手に敗れ、準優勝に終わったこともありました。順風満帆の空手人生ではなかったと思います—
勝つと勘違いしてしまう部分もありますし、もっと要領よくラクをして勝とうという甘い考えが出てしまったところも正直ありました。自分が全日本で優勝することができた最大の要因は、小さなころからコツコツと積み上げてきた過程があったからです。それが自分でも気づかないうち『ラクをして勝とう』『もう少し上手く勝とう』などと少しでも思った心の隙があったのだと思います。ですので、そこから自分たちの原点であるコツコツと努力を積み上げるというところに立ち還りました。そこに気づくことができましたし、やはり勝つだけではなく負けることも必要なんだと改めて感じました。
—その負けがなければ、もしかしたら4年間かけて2度目の世界王者を目指すという形にはならなかったでしょうか?—
それは間違いないと思います。心が持たなかったと思いますね。負けを経験することで、より一層気持ちが強くなりましたし、2度目の世界王者を目指す中で負けることもありましたが、その失敗を前向きに捉えて、さらに努力を重ねることができました。
◆一瞬の喜びのためだけに、全てを注ぎ込んだところもあります
―辛いこと苦しいことも、たくさんあったと思います―
そうですね。勝った瞬間の一瞬の喜びのためだけに、全てを注ぎ込んできたところもありました。ただ苦しい中でも兄がいたり、道場の仲間がいたお陰で乗り切ることができました。周りの方の協力、サポートがなければ乗り切ることはできなかったと思います。
―やはり周囲のサポートがあったからこそなんですね―
周りの方の協力がなければ絶対に無理だったと思います。あとは空手の中で明確な目標を持ったのも大きかったと思います。自分の場合は兄と世界大会、全日本大会の決勝戦で戦って、その上で自分が優勝するという目標でした。始めた当初は空手が嫌いだった自分のような人間でも、真剣に打ち込めば夢が叶えられるということを体現できましたので、今後は子どもたちが明確な目標設定をできるように指導者として日々、勉強しながらさまざまな経験を伝えていければと思います。
―空手に限らず何にでも通用するお話ですね―
子どもたちにやりたいという目標があるならば、それを実現できるように自分も全力でサポートやアドバイスをしていきたいと思います。まずは大きな夢を立てて、その上でそれを叶えるために目の前の小さな目標をコツコツとやっていくことが大事だと思います。
—現在、子どもたちも含め、コロナ禍の影響を受けて苦しい境遇にいる方もたくさんいると思います―
世界中がこういう状況ですし、僕自身も先が見えないという状況でした。道場を立ち上げて2週間後に、緊急事態宣言で2カ月閉鎖。正直どうすれば良いのか分かりませんでした。ただ、だからこそ気づくこともあると思います。例えば空手ですと対人でなければ稽古ができないと思っていましたが、オンラインを通じて画面越しでもできることに気づきましたし、コロナだからこそ活路を見い出せた部分もありました。ただ、実際には難しい部分もたくさんあると思います。軽々しく何かを伝えるということはできませんが、まずは可能な範囲からで良いと思いますので、小さなことから少しずつ頑張ってほしいですね。
—いま道場では対人の稽古を再開できているのでしょうか?―
そうですね。密にならないように分散型という形ですが毎日、ソーシャルディスタンスに注意しながら稽古をしています。もちろん、その中でも道場に来ることが難しいという人もいますので、その方たちにはオンラインなどを活用して稽古の様子を生配信しています。指導方針としては、まずは楽しく汗を流すというところから始めています。コロナ禍という大変な状況なのですが、ありがたいことに入会者も少しずつ増えているような状況です。やはり子どもたちが成長していく中で、スポーツや武道というものは欠かせないものになっているのではないでしょうか。
◆コロナ禍だからこそ、しっかり汗をかいてほしい
—今は外に出て遊ぶというよりはゲームなどで完結している子どもも多いかもしれません―
イジメなど陰湿なニュースも目にしますし、そういうことが多くなってきた時代なのかなと思います。ただ、そう
—今は外に出て遊ぶというよりはゲームなどで完結している子どもも多いかもしれません―
イジメなど陰湿なニュースも目にしますし、そういうことが多くなってきた時代なのかなと思います。ただ、そういう時代だからこそ、昔ながらの武道やスポーツの力は必要だと思うんです。しっかり体を動かして汗をかく。ネットなどが普及して便利な時代ではありますけど、だからこそしっかり元気よく走り回ってほしいという思いはあります。そうすれば気持ちもスッキリしますし、イジメなど小さなことをしなくても済むと思うんです。コロナ禍だから引きこもるのではなく、コロナだからこそしっかり汗をかいて免疫力も高めてほしいですね。
—少し話が変わりますが、離れた場所から見て広島スポーツに対して、どのような印象を持たれていますか?―
広島にいたときは当たり前のように広島スポーツの情報が入ったんですけど、今はネットで調べないと入らないものもあるので、そこは少し寂しいです(笑)。ただ広島にいるときは気づかなかったですが、離れてみて広島県人の結束力の強さを感じます。カープにしてもサンフレッチェ、ドラゴンフライズにしてもスポーツというものをみんなで盛り上げる。特定のチームを応援しているみんなが仲間という感じで、すごく良いなって思いますね。自分たちの道場でも島本道場を応援してくれる人たちの結束力を高めていきたいと思っています。
―昨年はコロナ禍のなか他の地域に先駆けて全中国大会が開催されました—
これは大濱(博幸)師範をはじめ、兄や広島支部の人々の尽力で実現した大会です。コロナ対策が本当に大変だったと思うんですけど、こんなところにも広島の強さを感じました。広島も含め西日本の選手たちも日頃の成果を試す場があることを当たり前に思わず、感謝の気持ちを持ってほしいですね。
―改めて広島で頑張っているスポーツ選手にメッセージをお願いします—
コロナ禍ですが自分というものを見失わず、いろいろ考えながら頑張ってほしいと思います。子どもたちであればコロナということで面と向かっての練習も限られてくるかもしれません。ただ、そんなときも習いに行って教えてもらうだけではなく、習いに行けない時間も大切にしてほしいです。「先生が言っていたことは、こういうことだったのか」と自分で考える力を身につけるときでもあると思いますので。そういうものはスポーツ以外でも必ず役に立ちますから、ぜひとも自分で考える力をつけてほしいですね。
―では最後に兄の一二三選手も指導を行う新極真会広島支部にもエールをお願いします—
「広島から世界へ」を合言葉に僕らも頑張ってきました。地方の中でも広島の結束力は高いので、引き続きその合言葉で頑張ってほしいと思います。兄とは現在も頻繁に連絡を取り合っていますし、力を合わせて東京と広島の両方を盛り上げていきたいですね。
広島支部のイチ道場生でしかなかった少年が、兄と切磋琢磨を続けることで、いつしか新極真会のエースと呼ばれるようになった。敗北のたびに立ち上がり、新極真会の主要大会である全日本ウエイト制、全日本大会、全世界ウエイト制、全世界大会を制覇。文字通り世界を制することで、広島支部の合言葉を具現化してみせた。
現在は道場での指導がメインとなるが、なにも空手は試合のためだけにやるものではない。礼儀礼節も含め、人として真の強さを追い求めるのが武道の真髄だ。主要4大会を制覇したとはいえ、島本雄二の空手道はまだ道半ば。後進の指導と歩調を合わせるように、現在も己の身体と心を磨き続けている。
【島本雄二 Yuji Shimamoto】
1990年1月23日生、広島県出身。全世界空手道連盟『新極真会』。練馬島本道場。参段。177㎝、90kg。全日本ウエイト制、全日本大会、全世界ウエイト制、全世界大会と、新極真会の主要4大会を制覇するグランドスラムを達成。2020年3月に東京都練馬区に常設道場を開設する。
本取材にご協力いただきました
新極真会の島本雄二選手、本当にありがとうございました。
(文・インタビュー・写真/松浦)
道場所在地:『新極真会 島本道場』
東京都練馬区豊玉上1−20−13ーB1F