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1994年広島アジア競技大会のレガシー

県立広島大学 教授 和田崇

みなさんは、今から四半世紀前の1994(平成6)年に、広島県内で大規模スポーツイベントが開催されたことをご存知ですか。1994年10月2日から15日間にわたり広島市を中心に広島県内各地で、「世界平和への願いを込めて友好の場にアジアの心を結び、力強く21世紀を拓く若人たちの祭典」を理念として開催された第12回アジア競技大会広島1994(以下、広島アジア競技大会)がそのイベントです。

アジア競技大会はそれまで東京やバンコク、ソウル、北京などアジア各国の首都で開催されてきましたが、広島アジア競技大会は初の地方都市開催であり、また参加国・地域42、参加選手・役員数6,828、実施競技数34と、大会史上最大の規模となりました。カバディやセパタクローといったアジア独自の競技も開催され、当時広島市に住み始めて2年目だった私も佐伯区スポーツセンターで開催されたセパタクローの試合を観戦して楽しかったという記憶が残っています。

(広島アジア競技大会のメイン会場となったエディオンスタジアム広島)

広島アジア競技大会の報告書をみると、広島アジア競技大会の成功経験は、広島という地方都市でも大規模イベントを開催できるという自信を植え付けたといいます。

また、4,300人の大会関係者が平和記念資料館を訪問したり、総額1億円のシャイク・ファハド広島・アジアスポーツ基金が創設されたりするなど、平和連帯やスポーツ科学振興の成果も得られました。

さらに、選手村交流事業への延べ25万人の市民参加、広島市内の公民館が担当国・地域を決めて応援・交流活動を展開した一館一国運動、選手等の出身国への電話連絡用に未使用のテレホンカードを贈った声のかけ橋キャンペーン、競技会場等を花で飾る一人一鉢運動など、市民の熱意とホスピタリティが強く感じられたことも広島アジア競技大会の特色の一つとなりました。こうした実績や特色をみると、広島アジア競技大会は「国際平和文化都市広島での開催にふさわしい大会」だったといえるでしょう。

また、広島アジア競技大会の開催に向け、メイン会場となった広島ビッグアーチ(エディオンスタジアム広島)をはじめ、広島グリーンアリーナや広島ビッグウェーブ(ひろしんビッグウェーブ)、広島市各区スポーツセンターなど、たくさんのスポーツ施設がつくられました。

これらの施設は広島アジア競技大会の後に開催されたひろしま国体や全国健康福祉祭、全国スポーツ・レクリエーション祭などのスポーツイベント会場として使用されたほか、市民スポーツや学校体育の練習場や試合場として使用されるようになりました。このうち広島ビッグアーチは1994年度からサンフレッチェ広島のホームスタジアムとして使用され、三度のリーグ制覇をはじめ、多くの感動を発信・共有してきたことはみなさんもご存知のことだと思います。

(広島アジア競技大会の選手村を改修・分譲したマンション)

さらに広島アジア競技大会は、交通施設や住宅、教育施設など都市の基盤となる施設を整備するきっかけとなりました。広島市中心部と広島ビッグアーチなどを結ぶアストラムラインは、大会2カ月前の1994年8月に開業しました。

また、広島ビッグアーチがつくられた大塚地区などは、ニュータウン「ひろしま西風新都」として開発が進み、1994年以降に工業団地や流通団地、住宅団地の開発・分譲、広島市立大の開学などが相次ぎました。

この他にも、1993(平成5)年には山陽自動車道が広島県内で全線開通し、新広島空港も開港するなど、広島アジア競技大会は広島の都市基盤施設を充実させるきっかけとなりました。

(広島アジア競技大会に合わせて建設されたアストラムライン)

こうした状況を踏まえ、当時の広島市長・平岡敬さんは広島アジア競技大会が都市の基盤となる施設、国際的イベント開催のノウハウ、市民意識の国際化、ボランティア精神の高揚など、有形無形の財産を広島に残したとみて、それらをその後のまちづくりに生かすことを表明しました。

今日でも多くの市民や企業などに利用されていることをみると、当時つくられたスポーツ施設や都市基盤施設は広島の財産になったといえるでしょう。

また、広島アジア競技大会以降に、ソフトテニスやハンドボールの国際スポーツイベントや広島市スポーツレクリーションフェスティバルが開催されるようになったり、広島スポーツボランティア制度が始まったり、一館一国運動がアジア草の根交流事業へ発展し、さらにアジア諸国との交流活動を自主的に行う市民グループが誕生したりしたことも、その財産がまちづくりに生かされたといえるでしょう。

このように、広島アジア競技大会は広島にたくさんのプラスの(ポジティブな)財産を残しましたが、マイナスの(ネガティブな)影響が全くなかったわけではありません。

例えば、スポーツ施設や都市基盤施設は市民生活を豊かにした一方、莫大な建設費のほとんどを負担した広島市などは、長引く景気低迷の影響も受けて財政収支が赤字となり、借金も大幅に増えたため、2003(平成15)年には財政非常事態宣言を発するに至りました。

そのため、広島ビッグアーチの大規模改修が要請された2002年サッカーW杯日韓大会の誘致を見送らざるを得なかったり、いったん手を挙げた2020年夏季オリンピックの招致を断念したりしました。そして、四半世紀前につくられたスポーツ施設の多くは老朽化が進み、改修が必要となっていることに加え、必要経費を上回る使用料等収入を得ることができず、施設経営は赤字となっています。

安佐公民館のカタール博物館(広島アジア競技大会以降の交流活動を展示)

また、広島アジア競技大会をきっかけに始まったスポーツレクリエーションフェスティバルやスポーツボランティア制度、市民グループによるアジア諸国との交流活動などは、現在まで活動が継続してはいますが、活動の縮小やマンネリ化がみられたり、参加者の固定化や高齢化が進んだりしています。

例えば、アジア諸国との交流活動を行う市民グループは年々減少するとともに、比較的活発に活動を行ってきた市民グループの中心メンバーも70歳代となり、後継者の確保に苦労しているのが現状です。

広島アジア競技大会の経験を踏まえると、これからの都市・地域のスポーツイベントのあり方についてどのように考えるとよいでしょうか。特定の場所に集まって人びとがスポーツをしたり、見たり、支えたり、語ったりすることは、健康づくりや競技力の向上はもとより、夢や感動の共有、仲間づくりなどを通じて、人びとの生活に潤いと活力をもたらします。

祭りや宗教も文化もそうした人びとの集まりと(一見すると無駄とも思える)時間の共有から生まれたもので、スポーツイベントもそうした可能性をもっています。また、大規模スポーツイベントになると、その開催が都市・地域の発展・成長につながった例もみられます。

しかし一方で、スポーツイベントを開催すれば、都市・地域に必ずバラ色の未来が訪れるというわけではないということも認識しておく必要がありそうです。スポーツ施設や都市基盤施設の整備や維持管理に多額な経費がかかり自治体財政を圧迫する可能性もありますし、時間の経過とともにスポーツイベントの感動経験を共有する市民が少なくなり、市民活動が縮小する可能性もあります。

また、他都市の例をみると、スポーツイベントが当初に期待したほど観光客の増加や地域経済の活性化につながらなかったというケースもみられます。

となると、スポーツイベントにはプラスの効果とマイナスの影響の両方があることを理解したうえで、プラスの効果をできるだけ多く得られ、一方でマイナスの影響をできるだけ減らせるような計画をイベント開催前にたてて、それを実現するための施策や工夫を継続的に行うことが必要になってくるでしょう。

つまり、都市・地域にとってのイベント・レガシーを意識すること、それを得られるように計画・実践すること(イベント・レバレッジ)が大切になります。2012年のロンドン・オリンピック以降、オリンピック・レガシーへの注目が高まり、その招致段階からレガシープランの策定・提出が求められているのもこれと同じ流れです。

SAHにはスポーツイベント運営に関する知見と経験が豊富なアドバイザーが揃っています。スポーツイベントを通じたまちづくりを検討しておられる自治体やスポーツ団体のご担当者さま、そしてスポーツ活動者のみなさん、イベントそのものも都市・地域も持続可能(サステイナブル)なスポーツイベントを一緒に考え、実践していきましょう。


和田崇

Takashi Wada

県立広島大学 教授

広島大学大学院文学研究科修了。

広島県高校教員、まちづくりコンサルタント等を経て、2013年に県立広島大学に赴任。

剣道錬士六段。日本武道学会会員。